中道子山城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)
加古川市北部、国土地理院の地形図で城山の表記の有る山の(標高271.2m/比高約250m)山頂部が中道子山城です。
第8回全国城郭研究者セミナー(19991年)においてパネル掲示で、国史跡指定をめざして行った調査報告(発掘)があったが、その後進展がないまま電波塔の建設計画がある様なので再度登ってきた。
30年前と比べ城域は公園化され主郭にはトイレまで建設され歩きやすくなっていました。(安易な公園化と遺跡破壊は同義語で、なおかつ公園化後放置は)以前よりあった主郭より西に続く郭内の霊場巡りの施設は荒廃状態ながら現存し、これらの建設で城の遺構がどの程度残っているのか不明。
西尾根の先端の郭は、比較的後世の改変が無いようで、その北東部に現地の標識では「搦手門」とある虎口が見やすくなっていました。
先端の郭の西には2本の堀切があり、内側の堀切は郭面から約5m落ち込んだ普通の形ですが、外側のものは岩盤を掘り込んで東側の面はとても下りれるようなものではありません。この堀切は尾根稜線部で堀状(道かも)のものが分岐しており北に下がった所で合流して、付近には採掘跡の様な穴があり、更に西に進むと巨大な窪地がありその北は堀切状となっていますが、どちらも正体不明です。
主郭の西の米蔵は、セミナーでの報告では内面全域が石積が発掘で出ていたいたようでしたが現在は埋め戻されたのか現在は見ることが出来ませんでした。
主郭東側土塁写真
米蔵東より写真
米蔵北より写真
米蔵の虎口写真
内側堀切
外側堀切写真
外側堀切分岐部写真
搦手門写真
虎口写真
遠景写真
- 参考文献
中道子山城跡発掘調査報告書2