天正七年から十一年にかけて、院庄(現鏡野市)の沖構を巡って、 宇喜多氏と毛利氏は戦っています。 沖構は市街地化の進む中、田圃の中に堀跡を残しています。 この沖構に対する、私が宇喜多氏の陣城と考えています城があります。茶臼山砦 茶臼山砦縄張図 沖…
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