大塩城

 

  大塩城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

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小浜市から南川に沿って国道162号線を名田庄村に向かう途中、総合運動公園の背後(南)の山(標高134.6m/比高110メートル)山頂に大塩城はあります。

近年は、地元の方々により整備され藪もなく歩きやすくなっています。

大塩城は、南北二つの郭があり南の郭が一段高くなっています。

北の郭は、北と東に折れがみられますが郭の縁には土塁が無く高さ2mもない切岸の折れが、どの様な意味をもつのかよく分かりません。西側の北よりに虎口の様になっている所が有りますが、本来の虎口かどうか私は疑問に感じます。

南の郭は、西から南にかけて土塁があり、南西の角が大きく欠けて南の堀切方向に横矢がかかる様になっています。

東に一段低い郭があり東の中央付近に虎口(こちらは間違いないと思います)があります。

大塩城の問題点ですが、南端の堀切と言っても元々の谷地形を若干掘り下げた状態ですが、この堀切の中に西の1本は別にして他は痕跡程度にしか残らない土橋状の物(私には3本しか確認できません)がみられますが「福井県史」はこれを障子掘としていますが、私はそうではなく山道の遷り換わりの結果と思います。

 

北郭北側切岸写真

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北郭北側折部写真

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北郭南より写真

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北郭北より写真

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南郭土塁写真

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南郭土塁折部写真

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東郭写真

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東郭虎口写真

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東郭土塁写真

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堀切写真

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障子堀?写真

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遠望写真

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  • 参考文献

   インターネットで閲覧できる「福井県史」通史編2 中世

 

神明山砦

 

 神明山砦縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

 

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余呉町八戸集落、背後の尾根(北)標高294.5m(比高約150m)のピークが神明山砦です。同じ尾根上東端の堂木山砦とは約900mの距離があります。

神明山砦は中央東寄りを土塁で東西に二分割されています。

西郭中央には一段高くなった北、西、南に土塁がある郭があり、その南東角に虎口が開いています。西郭には北、西、東に土塁があり、南側の中央西と東郭に向かって開いた虎口に関連した土塁しか見られません。

東郭にも北、西、東に土塁が見られ、南側は切岸のみとなっています。郭内部は東下がりの斜面で西郭と比べ削平は不十分と感じました。

西郭の西には二重の堀切があり。その西の尾根上には不明確な堀切及び平坦地がありますがよく分かりません。

一方東郭の東は切岸のみで堀切は見られません。

堂木山砦との間の尾根上にも平坦地がみられますが城郭関連するような物ではないように感じました。

 

西端堀切写真

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西郭西土塁写真

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西郭北側東より写真

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西郭中央土塁囲み北側写真

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西郭中央土塁囲み東側写真

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西郭中央土塁囲み上面写真

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西郭東より写真

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西郭北側土塁写真

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西郭東土塁東側写真

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西郭東土塁西側写真

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東郭西より写真

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東端切岸写真

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  • 参考文献

   滋賀県長浜市教育委員会  平成25年9月 発行

    平成16年度旧余呉町教育委員会賤ヶ岳合戦城郭群調査

    賤ヶ岳合戦城郭群報告書

万歳山城

 

万歳山城 

北尾根(土塁)東先端の堀切

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最近若いころ行った城で、あまりよく見ていなかった城を見直しています。

先日行った岐阜県垂井町の菩提山城は、当時は整備がされておらず主郭以外は藪状態で、台所郭の藪の中から出ると10m位の所で散弾銃を向けられたという怖い思いをしましたが現在はよく整備されて気持ちよく歩けました。

今日は、奈良県葛城市の万歳山城へ行きましたが非常に状況は悪く、当時は竹内峠から二上山に行く登山道から東に尾根伝いに行きましたが、現在は登山道が通じていて迷うことなく行くことが出来ます。ただ登山道は人が歩く幅は明けていますが周りは笹藪で周りの木々も大きくなり全く見通しがききません。今日は5組くらい人と会いましたがこんな所を歩いても楽しくないように私は思いましたが。

城域に至っては以前(40年前)は、城郭大系の縄張り図を見ながら殆ど(東尾根の郭群以外)遺構を見ることが出来ましたが、今日は笹、低木、檜が密生して郭内に入る事も困難な状態でした。冬枯れの時期でも同じようなものと思います。

唯一当時と同じように見る事が出来たのは北尾根東先端の堀切だけでした。

向城

 

向城縄張図(国土地理院の電子地形図250000)

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庄原市三次市の境界付近で、麓を国兼川が北から西にかけて大きく蛇行して流れる標高276.6mの低丘陵の西に張り出した尾根(標高257m/比高50m)が向城です。

全長が約50mの単郭の城で、郭内部は三段位に分かれているようですが削平はあまりよくないように感じました。虎口は東側の南寄りに土塁の痕跡が切れている所があり空堀に向かって下っていました。

この様な小さな城ですが、東に繋がる尾根には3本の堀切があり、このうち内側の2本は南から入り込んだ谷に面して空堀となり南に向かって下っています。更にその東に空堀の痕跡があり厳重に遮断しています。

一方西側は南端の空堀が北に向かって伸びていますが、すぐに外側の土塁が無くなり山道状になってしまい、麓に国兼川が流れていることを考えてもいかにも貧弱な感じがします。東側からどの様勢力が攻めてくることを想定しているのでしょうか。少なくとも延徳年間の山内と三吉氏の戦いでの城であれば、三吉氏は西からやってくるのではないでしょうか。

北斜面には、4本の竪堀(畝堀)が見られますが、疲れたのでよく見ておらずもっとあったかもしれません。

 

 さすがに5月になれば、低丘陵の藪山では良い写真が撮れませんでした。

南端空堀写真

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空堀写真

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遠景写真

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  • 参考文献

   株式会社 渓水社  令和3年2月1日 発行

    表 邦男 氏著  広島の中世城館を歩く

   株式会社 新人物往来社  昭和55年1月15日 発行

    日本城郭大系 第13巻 広島・岡山

茶臼城

 

 茶臼城(国土地理院の電子地形図25000)

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三和総合運動公園のある丘陵の東端、敷名八幡社の背後の尾根先端ピークが茶臼城です。

この運動公園のある丘陵には北西端に国光城(六郎山城2018年1月12日ブログ)、標高449mの山頂に高井地城その西の尾根先に平城(2018年1月4日ブログ)があり、私は以前、高井地城および平城は国光城に対する陣城と考えていましたが、そうではなくいずれも毛利氏に関係する城のようで、それならば今回の茶臼城も毛利氏関係の城かもしれません。

茶臼城の遺構は、標高391m(比高110m)の尾根ピークを堀切でわけて南北の郭を作っています。

南の郭は、堀切に面して低土塁のある郭と、その南にかけて数段の削平地があります。

北の郭は、全周が6~7mの切岸で郭の上にあがるのにも苦労します。北西角は約3m張り出してその基底部の切岸には根固と思われる石積が見られます。

北郭の西には、畝掘というよりは竪土塁列というのが正しい様に思う7本の土塁があり、土塁そのものも付近にある石を放り積んでいる様に見え、他にあまり見えないように感じました。

 

 北郭写真

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北郭南西角張出部写真

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北郭張出基底部石積写真

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北郭西切岸石積写真

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北郭西腰郭、空堀、竪堀写真

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南郭写真

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北堀切写真

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南堀切写真

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土塁(石塁)列写真

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遠景写真

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  • 参考文献

   webページ「城郭放浪記」

          さんを参考にさせて頂きました

   新人物往来社 昭和55年1月15日発行

    日本城郭大系 第13巻 広島・岡山      











 

 

 

 

 

御所陣山城

 

 御所陣山城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

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天文22年、尼子氏は(現)島根県奥出雲町から雲伯路(現国道432号線)の王貫峠を南下し、(現)庄原市口和町竹地川と宮内川が合流する向泉付近で竹地川をはさんで毛利氏と対陣しました、この戦いを泉合戦と呼ばれています。

この時毛利氏は竹地川の西側、尼子氏は東側に布陣したようで、この合流点より北東約2kmの標高346m(比高30m)の丘陵の南西方向に張り出した尾根先端のピークが御所陣山城です。

現状の御所陣山城は、ピークの全周を3~4mの切岸で落として郭を作り、その根元に空堀空堀に直行の数本の堀が見られる単郭の城です。

城域は耕作の後は見られませんが、風化により郭上面の角が落ち、根元の堀も埋まっている様に私は見ました。

広島県の中世城館を歩く」では、尼子の陣城とされており興味深いものです。

 

切岸南側写真

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空堀東側写真

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空堀西側写真

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東堀切写真 f:id:temeraire1839:20210510000034j:plain

 

空堀南側写真

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 遠景写真

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参考文献

   株式会社 渓水社  令和3年2月1日 発行

    表 邦男氏著 「広島県の中世城館を歩く」

   広島県教育委員会  1996年3月 発行

    広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第4集