石原城 高い土塁囲みの郭

  • 城名 石原城
  • 所在地 京都府綾部市石原町

 

石原城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

 

舘城(ブログ2025年8月11日)の南西1、5km、犀川が流れる谷の出口にある石原集落の背後(北)の尾根(標高約75m/比高約40m)が石原城。

石原城、舘城ともに低丘陵上の方形区画の居館形態に見えるが、縄張の構成要素を見ると石原城は土塁、舘城は空堀でありまた両城共に常時人が住むような居館ではないように思える。(最終的には発掘調査を待たなければならないが)なお舘城の府道9号線を超えた下舘集落内に居館とされる土塁の一部、石原城は西に谷を越えた尾根上に「石原居館跡」があるが今のところ行っていないので詳細不明。

石原城は東西二つの郭からなり、東の郭は北から東に低土塁があり中央が切れているところがあるが虎口か不明。

西の郭(おそらく主郭?)は分厚く高い土塁に囲まれ、土塁の東と南に折れが見られ、東側の基部に空堀がある、南折れ部の東側にも空堀があるが現状折れ部から登れるようになっているがおそらく後世の破壊で虎口ではないと考える。南側中央にある虎口は土塁下を進むと北にある竪堀により右に折れて入る形で一種の外桝形見える。

 

西郭(主郭?)写真

北側土塁

北東角

折部上部

折部外側

東部外側

北部外側

西虎口

南虎口?

南横堀

 

東郭写真

東土塁

 

遠望写真

 

  • 参考文献

   戎光祥出版株式会社 2015年4月1日 発行

    城郭談話会編 図解 近畿の城郭Ⅱ 

   京都府教育員会 平成25年3月29日 発行

    京都府中世城館跡調査報告書 第2冊 丹波編

 

 

奥の谷城・峰出城・北谷城 伊賀老川の城

  • 城名 奥の谷城・峰出城・北谷城  
  • 所在地 三重県伊賀市老川

伊賀の城館は一つの集落に複数の城館があることが多いが、伊賀市東部の伊勢国境(白山町)に近い老川は南北約1km谷間の小さい集落だが、島野氏城、若山氏城、若山氏館、城山城(Googleearthでは五日市城となっているが出典不明)と今回の奥の谷城、峰出城、北谷城の7つの城館が集中している。

奥の谷城は、島野氏城、若山氏城と同じく集落東の尾根のピーク(標高約380m/比高約50m)を掘りこみ周囲を土塁状に残した郭で、南西角が虎口と思われ伊賀の城多く石が積まれているがここも石が見られる。この城の特徴は南に続く尾根を2重の比較的規模の大きな堀切、竪堀で遮断している。

峰出城は、林道をはさんで尾根先にあり後世墓地に利用にされたようで改変が激しい。

老川を赤色図で見ると若山氏城の北尾根上(標高約445m/比高約100m)に気になる地形があるので、伊賀城研に確認すると調査済みで北谷城と教えもらったので行ってみると低切岸で囲まれた砦跡のように見えた。東に空堀の痕跡、郭の東から北にかけて土塁痕跡。南西角にやや高い土塁が見られ、全体的な感じは西にある桐之木の砦(2013年12月5日ブログ)と同じように感じた。

 

奥の谷城・峰出城縄張図(国土地理院尾電子地形図25000)

 

奥の谷城写真

虎口?

堀切

 

峰出城写真

 

北谷城縄張図(国土地理院尾電子地形図25000)

 

北谷城写真

遠景

 

  • 参考文献

   伊賀中世城館調査会 平成9年3月31日

    伊賀の中世城館

   伊賀中世城館調査会 昭和55年3月3日

    調査日誌第17号 古城雑記

   伊賀中世城館調査会 昭和57年1月20日

    調査日誌第44号 古城雑記

北田城

  • 城名 北田城
  • 所在地 広島県広島市安佐北区白木町井原

 

北田城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

 

白木町のJR井原市駅の三篠川対岸にある尾根先(標高約200m/比高約60m)が北田城。

北田城は三つの削平地からなり、東の一段高い削平地が主郭と思われ、東端が櫓台のように高くなっている。

西の削平地は中央に谷が入り北と南に分かれ、南側は平坦な郭になっているが、北側の郭は東部が高くなり南に向かって虎口のように開いている部分があり、当初単純に虎口かと考えたがよく見ると不自然で、小礫を積み上げている所があり炭焼き釜の跡かもと考えたが、郭先端に墓石がありふと蓮台野かとの妄想が湧く、過去2例行きあったが一ヵ所は中世墓のもの、もう一つは現地で指摘が合ったが具体的にはよくわからないものでいずれとも異なるので何とも言えないが、現地で聞き取りをできればよかったが残念。

主郭の東に堀切があつたと思うが林道で改変されているようで、その東の尾根上堀切が見られる。

 

上段(主郭)削平地写真

櫓台

 

下段削平地写真

南郭

北郭土塁状遺構

溝状(空堀?)遺構

 

東堀切写真

 

遠望写真

 

  • 参考文献

   ブログ 小花と春の古城めぐり 2022年3月31日

    北田城

   ふるさと再発見・歴史講演会レジメ 白木町公民館 2026年3月1日

    秋本 哲治氏  白木町の城跡

滝ヶ嶺城

  • 城名 滝ヶ嶺城(滝ヶ嶺古塁、加舎城)
  • 所在地 京都府亀岡市本梅町中野

 

滝ヶ嶺城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

亀岡盆地の西隣本梅川が流れる小盆地の、西に聳える半国山の東に延びる尾根に数掛山城、滝ヶ嶺城がある。

若い頃数掛山城へ虎渓谷千軒(苔谷仙軒)経由で目指したがルートを誤り半国山付近まで上り尾根筋をたどり到着、帰路はついでにと滝ヶ嶺城へ着いた頃は夕刻近くおまけに藪山で殆ど記憶がない。それ以来長年が過ぎたが登る機会がなく時が過ぎたが2月に再訪した。山城は見学用の登山道は別にして、里の道、峠道、山林作業の道等何かしらの道があるものだが、滝ヶ嶺城はいずれもなく所々山林作業道の痕跡があるすぎない近年足腰が弱くなってきたので比高200mの直登に不安があったがなんとか頑張れた。

中野、平松の集落の西の尾根先(標高約440m/比高約230m)30~40mが険しくなっている山頂が滝ヶ嶺城。

城域は基本上下2段の削平地で、東よりにある2~3m高くなっているのがおそらく主郭、西端に削り残しの土塁、南側東寄りに虎口が見られる。

下段の郭は西側が広くその北から西側を削り残して高くなっている、西の数掛山城に続く尾根を堀切で分断、堀切の東に横堀がある。北側東寄りに虎口、周辺に土塁が確認できその北に続く尾根に数段の削平地、南側東寄りに虎口その下に虎口関する小郭その東裾に堀切が見られ、さらに東約80mに緩斜面があるが郭か不明。

地元の方からの情報で南に長く伸びる尾根上の砦について確認する。標高352m付近に土塁、切岸、がある。尾根先端付近に切岸が見られるがその南及び西は自然地形のようで砦かどうか私は疑問。

 

主郭写真

西土塁

東切岸

虎口

 

下段郭写真

北虎口付近の土塁

北虎口

北、東土塁

横堀

南虎口



東郭虎口写真

 

南尾根の砦写真

標高352m付近

先端

 

遠望写真

右のピークが滝ヶ嶺城、左の長い尾根中央付近と先端に砦

  • 参考文献
    株式会社 新人物往来社  昭和55年9月15日 発行
     日本城郭大系 第11巻 京都・滋賀・福井

  八上城研究会 編集  2000年6月10日 発行

   戦国・織豊城郭論  丹波国八上城遺跡群に関する総合研究

  京都府教育庁指導部 平成3月29日 発行

   京都府中世城館跡調査報告書 第2冊 丹波編

  

仮称君尾山城 赤井の乱に関係?

  • 城山名 仮称君尾山城
  • 所在地 京都府綾部市睦寄町君尾、五津合町

 

君尾山城城縄張図は高橋成計氏作図、氏の許可を得て使用しています無断での他への使用及び複製しないでください。

 

赤色図で城らしき形が確認できる、中腹に光明寺(京都府綾部市睦寄君尾)がある、君尾山の西のピーク(標高約537m/比高約380m)に行ってきた、仮称君尾山城とする。

大永7年(1527年)11月細川氏勢力の光明寺を赤井氏が焼き討ちを行った(大永の乱または赤井の乱)ことに関連する城か?

山頂の北に二本の堀切。

城域は山頂から約20m南に下がる緩斜面で、目立った削平地(郭)は無いが、頂上から約15m下がった斜面に等高線に沿って切岸とその裾に空堀、さらに約5m下がって切岸と空堀が見られる。

西の尾根にも堀切が見られる。

 

山頂背後の堀切写真

 

北端の堀切写真

 

山頂部切岸切写真

 

南斜面切写真

 

中段切岸空堀写真

 

下段切岸空堀写真

 

西尾根の堀切写真



  • 参考文献
    全国Q地図 地図ページ

仮称岩坂城 赤色立体図で確認

  • 城名 仮称岩坂城
  • 所在地 奈良県桜井市大字岩坂、宇陀市榛原笠間

     

岩坂城縄張図

岩坂城城縄張図は高橋成計氏作図、氏の許可を得て使用しています無断での他への使用及び複製しないでください。

 

知人より桜井市と宇陀市の境の山に城らしい形があるので、確認してほしいと依頼があり行ってきた。

女寄峠の北にある標高444mの山の、東に伸びる尾根(標高約430m/比高約80m)に位置し、全長約100m、最大幅約30mの規模で概ね三つの郭になっている。

北の郭は、北端に古墳?を利用した小郭(櫓台?)が付属し、中央北に虎口が開いているが虎口に至るルートは不明。西に続く尾根は堀切で遮断している。

中央の郭はこの地方ではあまりみない形で、尾根上面を北と東を土塁状に残して掘りこんで作られている。

その東の空堀も特殊で、幅8m、長さ17mで南側は開放しているが北側は幅3mほどで土橋状に閉じている。このような形は過去あまり見たことがなく唯一岡山県津山市の篠山城(皿山城)の主郭にあったが何れもどの様な意図があるのか分からない。

南の郭は平坦な大きな郭で、その北、東、南の切岸は高さ5mを超えその根元は空堀乃腰郭でその北側には竪堀がある、南側は麓から上がってきた道と合流して西の山まで続いている。

この様な本格的な縄張の城が現在まで確認できていなかったのが不思議で(今回も赤色立体図で確認)、地元で何か伝承がないだろうか。

 

北郭写真

虎口

土塁囲み小郭

北端堀切

 

中央郭写真

 

空堀写真

 

南郭写真

 

南端空堀、腰郭写真

 

北斜面竪堀写真

 

遠望写真

 

  • 参考文献
    全国Q地図 地図ページ

シシ垣 高津気 熊野の長塁?2

  • 名称 高津気のシシ垣
  • 所在地 和歌山県東牟婁郡智勝浦町高津気

 

高津気シシ垣マップ 「くまの里山」発行

赤線がシシ垣、西端は高津気のゴルフ場、東端は新宮市高森。

 

2024年に歩いた高津気のシシ垣の内、見逃したところを見てきた。

最初に、長野川を越えて南に続くシシ垣の内、小さい沢に沿って登って続くシシ垣で、高さは2m前後で見た目以上に整然と積まれていた。尾根ピークには鎮台木戸と呼ばれる階段状の出入り口があり、その直上は巨石を取り込んで南にシシ垣が続いている。

次に、前回の長野川北尾根のシシ垣から、約400m北東の大きな谷で隔てられた尾根付近のシシ垣で尾根を越えて新宮市(東)に向かって伸びている。枝分かれたシシ垣があり内側は「猪狩場」と呼ばれている、西に続くシシ垣を進むと「青木木戸」がありその外側に「シシツボ」があり径約3mで石が積まれ青木木戸ともに丁寧な作りと思われた。

前回のところはシシ垣の集落側(内)には水田跡が広がっていたが、今回の2か所ともに急傾斜でとても耕作(麓付近には水田跡がある)できないように思えるのが不思議な所だ。

又北の尾根全体に穴が多数開いた巨石の露頭で、何かしらの火砕岩と思われれるのが興味深い。

 

長野川南のシシ垣写真

 上岡木戸

  外側

  内側

 

 鎮台木戸

  外側

  内側

  尾根ピーク部のシシ垣、さらに南へ続く。

  上岡木戸から鎮台木戸に沢沿いに登る猪垣。

 

長野川北のシシ垣写真

 猪狩場と呼ばれる枝分かれのシシ垣

  猪狩場の枝分かれとの合流部、

  シシ垣はここから東(写真右)尾根を越えて新宮市へ続く。

  合流部から西に続くシシ垣。

 

 青木木戸

  内側

   外側

  シシツボ