伊勢畑城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)
昨年10月充分見れなかった伊勢畑城に再び行ってきました。
今回は、前回見ていなかった南の郭を中心に歩きましたが、前回5時間+今回5時間かけてもまだ見逃している箇所がある様で再度行く必要があると考えています。
注目の箇所は、南端の南西角の約10×10mの張出で、明らかにその南の尾根を遮断している堀切に対して横矢を掛ける様に作れられている様に思います。
虎口について、土塁が切れている所が数か所見られますが大半は後世のものの様で、明確なのは西山頂部の南西角と西郭の西中央、谷部のもので、西山頂中央郭の南東角と中央土塁囲郭のは虎口のやや疑問があります。
伊勢畑城の山は、西の斜面は岩盤が露出する急斜面で登ることが不可能の様な気がします。北と南に尾根が続き、東斜面も登ることが出来るようで、この方面は空堀、土塁で守りを固めいます。北の尾根には現在作業道が切岸を破壊して入っていますが、この切岸は高さが10メートル近くあります。南の尾根には道がある様で、この道は谷から場内に入るのではないかと思います。
伊勢畑城が何故この様な場所にあるのか私にはよく分かりません。西1kmの下風城(2014年3月13日ブログ)は明らかに縄張に共通する物があり、北西5kmの高城では宇喜多と毛利の戦いがあり、また伊勢畑城の北の籾で注目すべきは、永禄9年に三村家親が狙撃され死んでいます、ただ三村氏と宇喜多氏はこの時期(永禄8年)に美作の三星城で戦っています、何故三村家親が籾まで出てきたのでしょうか。
西山頂部写真
中央郭南土塁
中央郭南切岸
南東角虎口?
南郭
西郭
西郭虎口
南端切岸
中央部土塁囲郭写真
西より
北より
南端土塁写真
南西端張出写真
外側
内側西
内側東
土塁 空堀
北西部
北東部
南谷部虎口
南郭東土塁、空堀
溜池?
遠景写真
- 参考文献
webサイト「城郭放浪記」さんを参考にさせて頂きました。
岡山県中世城館跡総合調査報告書 第3冊 美作編
第25回国民文化祭津山市実行委員会 平成22年10月30日発行
美作国の山城