武蔵国比企郡遠征 杉山城・山田城

 初めて埼玉県まで遠征しました。往復1100kmさすがに遠かった。台風接近の中あまり雨にもあわず幸いでした。

色々議論がある杉山城、一度訪ねる事が必要と思っていましたので行ってきました。

要所で横矢がかかるような郭、空堀等印象に残りましたが、規模及び縄張に関して同程度(以上)の城は関西にもあるように思います(例えば京都市の如意ヶ岳城等)

印象に残ったは、立地が比企の低丘陵(標高94.7m/比高約40m)のため地形的な要害は弱いように私には感じ結果あのような複雑な縄張りになったと思います。

縄張の守備的要点は西及び南が主で、北と東は弱点と感じました特に北尾根の、北二の郭、北三の郭は自然地形に近い形のうえに高低差もなく、守り的にも北二の郭の食違い虎口だけとは心許無く感じます。

東二の郭、北三の郭は後世の改変もあるのか図面に書けばあのようになるかも知れませんが切岸は低く、堀の幅、深さもなく主郭東の虎口もこの方向開いているのが気になります、またこの虎口は石積みであった様ですが単純な平虎口というのも気になります。

杉山城写真

大手口

南二の郭空堀

主郭南空堀

井戸郭入口

主郭北張出部

主郭東虎口

主郭東部写真

主郭北虎口外側

主郭西空堀

北二の郭虎口食違土塁

北二の郭虎口外側

北二の郭西外側空堀

主郭より南二の郭、三の郭写真

出郭

搦手口

遠景写真

  • 参考文献

   現地に置いてあった嵐山町教育委員会のパンフレットを参考にしました。

 

山田城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

 

滑川町の国営武蔵野丘陵森林公園内にあり山田城は、南ゲート入ってすぐの東の丘陵(標高62.6m/比高20m)で頂部を切岸高さ3m前後、空堀幅4m以内の薄いものが囲んでいます。

内部の北西部に約30×35m土塁囲みの郭、この郭の南側の虎口と思われる土塁切れ目が南西方向に折れており、それの東に平行する土塁が外周土塁まで延びているのでこの中も郭ではないかと思います。

全体的に見て後世の改変(耕作、公園化)があるのかあまりはっきり分かりません、東を古鎌倉街道が通っていますが現状の高低差が5m強で前述の空堀、切岸が城としての機能があるのか疑問です。

山崎城に至っては、現地を見て本当に城か疑問のわくもので、山田城の北東約400mの古鎌倉街道が通っている尾根に街道に沿う様に空堀、土塁、それに対して南北の尾根上に空堀、土塁が直角に折れて続いていました。この空堀、土塁内部は現在谷をせき止めて溜池になっていますが、この様な中心が谷部の様な城(他に例として滋賀県彦根市の桃原城岡山県井原市の吉谷城等)はあまり無いように思います。

北側尾根の空堀、土塁の先端付近に郭状の物がありますが夏草のためかはっきりしません。

なお両城共に公園内にあり入場時間、料金がありますのでご注意ください。

山田城写真

切岸、空堀西南側

土塁東側

土塁、空堀北側

内郭土塁、空堀西部外側

内郭土塁、西部内側

内郭土塁、東部内側

内郭土塁、空堀北西部外側

遠景

山崎城

北尾根先端の郭?土塁

鎌倉古道沿いの空堀


  • 参考文献

   webページ 余湖くんのホームページさんを参考にさせて頂きました。