城山城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)
来歴不詳の城ですが、庄原ICの西約5kmの南側の低丘陵(標高289m/比高55m)の尾根に所在します。
東に尾根が続くので、東側が最も高くなる土塁が残り南北に順次低くなる土塁が続きます。南側の土塁の先端はその西の土塁と僅か食い違って開口部があり虎口かもしれません、北側の土塁先端は北に約4m折れて張出こちらは明らかに虎口と思います。
西側の切岸には現在は土塁は痕跡程度しかみられません。
この様な30m強の規模の城山城ですが、北西約3キロに山内氏の甲山城があり、「大永7年(1527年)備後国和智郷細沢山合戦と陣城遺構」ではこの時期の山内氏は大内氏に属しており、三次の和智に在陣している尼子氏にとっては背後の脅威の監視の為に尼子氏が築いたものか、江田に布陣する大内・毛利が甲山城に対する連絡の為に築いたものか私には何れにも考えられる。
東側土塁内部写真
南東側土塁外分写真
北東側土塁写真
南土塁写真
北虎口写真
北虎口張出部写真
- 参考文献
株式会社 渓水社 令和3年2月1日 発行
表 邦男氏著 広島の中世城館を歩く
芸備地方史研究会 2002年4月30日 発行
芸備地方史研究 230号第
長谷川 博史氏 大永7年備後国和智郷細沢山合戦と陣城遺構