城山の亀山山頂部の横堀

天文7年尼子氏の播磨侵攻の際に城山城が使われたようなので、登ってきました。

今回は、時間的、体力的な関係で木内内則氏の縄張図の中で、北側の亀山(標高457.8m/比高約410m)を歩きました。

縄張図中に土塁の表記があり、実見すると山頂より約20m下がった山腹に、幅最大約7m×深さ最大約4mで約200メートの長さで続いていました。堀は3か所で仕切られており西端は竪堀状に落ち込んでいました。

以上のような空堀は、堂々たる中世山城の遺構と私は感じました。

亀山山頂は、広い削平地となって所々切岸のようなところが見られました。

今回は、一部しか見ることが出来ませんでしたので、尼子氏に関係するようなものを見出すことはできませんでした。

西端写真

 

西部写真

 

中央部写真

 

東部写真

 

東端写真

 

仕切り写真

 

  • 参考文献

   西播磨ツーリズム振興協議会 2018年発行   

    木内 内則氏著 中世播磨250の山城