飯ノ山城

飯ノ山城縄張図

7月30日のブログで紹介した都我布呂城から西へ2.5kmの
上有漢にある飯ノ山(標高508.9m)の山頂が飯ノ山城です。
都我布呂城と同じく毛利氏が伊賀氏を攻めた際に飯ノ山城も使われたようです。
麓には人家が数件ありましたが、一軒はお住まいの方がおられ城についてお話をすることが出来ました。
ただまとまった数の人家のある川関集落から2km山奥で、ここから東へは現在道は無く中世この様な山間地に
どの様なルートが存在したのでしょうか。
飯ノ山城の遺構は、山頂を削平し郭を作っていますが削平は充分とは言えず、東から南にかけて一段低くなっており
現在西端には神社の廃墟があります。
西と南に一段低く腰郭があります。
南の腰郭の東端から竪堀が続き、その先東の尾根は2重の堀切で遮断しています。
西の腰郭の下にも竪堀列が有ります。
北と南の斜面にも竪堀状のものがありましたが、確証が持てないので縄張図には入れていません


主郭東部写真


東堀切写真


東竪堀写真


西竪堀写真

  • 参考文献

(株)新人物往来社
 日本城郭体系 第13巻 岡山
岡山県教育庁 文化財
 岡山おかやま全県統合型GIS 遺跡地図
岡山県吉備中央町
 ホームページ吉備中央町の田舎暮らし「吉備中央町の山城」