恒屋城 播磨の「畝堀」

 

恒屋城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

 

兵庫県南部(播磨地区)には、いわゆる「畝堀」の城が少ないように私は感じています。

現在まで私が確認できたのは、恒屋城(姫路市)篠ノ丸城(宍粟市)長谷山城(たつの市)瀬加山城(市川町)柏尾山城(神河町大聖寺山城(上郡町)六城くらいと思います。(仁位山城、飯ノ山は上月町で美作と微妙な位置、東条町の念仏城、神戸市の池谷のものを畝堀と呼ぶのには私は疑問)他の地域、例えば同じ兵庫県北部(但馬、丹波)と比べても少ないように思います。兵庫県以外で以前調べた京都府舞鶴地区(旧加佐郡)では全135城中11城を確認しました。

昭和56年(1981年)発行の城郭体系を手に入れて播磨地区の城を歩きましたが、体系の播磨地区には仁位山城と恒屋城にしか「畝堀」の記載がなく、篠ノ丸城は「畝堀」について全く書かれてなく現地を訪れて驚いた記憶があります。

1986年の第3回全国城郭研究会セミナーでテーマとして「いわいる畝状竪堀群について」が取り取り上げられ関心が高まり各地の畝堀の情報が出てくるようになってきたと思います。

恒屋城は、南に前城(標高約199m/比高100m)、北に後城(標高236.5m/比高140m)の郭群と後城の南に続くように大きな中の郭があります。

後城は山頂から南にかけて削平地が続き、先端部に堀切と土塁囲みの郭があります。

前城は数段の削平地と、西斜面に竪堀列(畝堀)がありますが短いもので藪中であり崩れたところもあり不明確なものが多く、南の斜面にも竪掘りのようなものが在りますが私には竪堀か確信持てません。

後城の南の中の郭は広く削平もよいもので、その西の全域に横堀が掘られて横堀の南端は東に直角折れて続いています。この南西角は折れて切岸の上は櫓台状の土塁になっています。横堀の北端は通路で一旦途切れて後城の西斜面に伸びて、その北に竪堀列(畝堀)があり、竪堀は長さが20m程度あり規模の大きいものですが、急斜面で崩れているものもあり藪の中のため私は11本を数えましたがそれ以上あるかもそれません。

恒屋城は以前から登りやすい城でしたが、前城周辺はひどい藪で詳細を確認することが困難でしたが、後城の周辺は藪が少なく見やすい状態でしたが、現在は藪が激しく西斜面の竪堀列(畝堀)をはじめ遺構の確認が困難で、東に続く尾根の堀切(私は未確認)の周辺にかけてまだあるかもしれません。

 

前城南の竪堀?

前城西の竪堀

中の郭 西の横堀

 

 

中の郭 西の横堀 南先端写真

 

中の郭 東の竪堀写真

 

後城南端の土塁の郭

 

遠景写真

 

1990年ごろの恒屋城写真

 

  • 参考文献
  1. 株式会社 新人物往来社 昭和56年3月15日 発行
      日本城郭体系 第12巻 大阪・兵庫
  2. 舞鶴山城研究会 平成21年3月21日 発行

      「舞鶴の山城―戦国時代を訪ねる―」

  3. 第三回全国城郭研究会セミナー レジメ 1986年8月2~3日開催