雨乞山城

雨乞山城縄張図

中世に栄えた天台宗系の豊原寺は、朝倉氏滅亡後の一向一揆の際は下間頼照が入って本拠となりました。
その豊原寺と関連する三つの城(三上山城、西の宮城、雨乞山城)のうちの一つが今回の雨乞山城です。
雨乞山城は。丸岡城を西に見下ろす標高215mの山上にあり、山頂部を中心に西に張り出した尾根先から
北の尾根にわたって約600の範囲に削平の地などの遺構が残ります。
山頂部の遺構は、概ね三段に削平され最上段が主郭と思われ南東角に右に折れて入る虎口があります。
三段目から二段目の郭に入るルート及び虎口ははっきりしませんが、
二段目の郭の北東角が高く張り出し土塁も見られ櫓台の様に見られます。
またその根元は箱堀状の堀になっています。
最下段三段目の北端は、土塁及び空堀により一種の食違い虎口になっています。
この虎口の北は、北に下がる尾根で西側には切岸が見られますが明確に郭とはなっていませんが北端に堀切が有ります。
この先は自然地形が続き高圧送電線の鉄塔周辺に数段の削平地が見られあます。
鉄塔から西と北に尾根が下がりますが、西の尾根を少し下がった所に一カ所の削平地があり、
北の尾根にも数か所の削平地と思われる所がありますがよく分かりません古墳群かも。
今回、西麓の変電所付近から登りましたが、最初に取り付いた尾根上の鉄塔周辺も郭と思われますが改変もありよく分かりません。
以上が雨乞山城の現状ですが、尾根上の削平地は別にして山頂部の三段の郭は縄張的に興味深いものがありました。

主郭切岸写真

主郭虎口写真

2段目郭切岸写真

北虎口内側写真

北虎口外側写真

遠望写真

  • 参考文献

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 「越前・若狭の城と考古学」
新人物往来社
 日本城郭体系 第11巻 京都・滋賀・福井