高屋城と寄せ城

寄せ城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

高屋城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

高屋城、寄せ城位置図(国土地理院の電子地形図25000)

2016年1月2日ブログで紹介した、岡山県北区建部町の高城及び鶴田城に対する宇喜多氏の陣城、
寄城及び蕨尾砦(蕨尾砦山)
天正8年3月20日小早川隆景久米郡国人杉山又三郎に対し17日同日垪和高城で備前衆を撃退し
明石飛騨守陣所夜討につき勲功を謝す。「小早川隆景感状」

がありますが、それと同じような関係にあるのが今回の高屋城及び寄せ城です。
高屋城は正霊山城を本拠とする藤井氏が築いた城ですが、藤井氏が毛利氏に背いた際に毛利氏が
奪取し改修し利用したようです。
高屋川の流れる谷の北に張り出す標高260mの尾根に、高屋城は築かれています。
高屋城のある尾根は、東、南、西の三方が急斜面で城に至るルートは、北の尾根のみになっており、
その尾根を3重の堀切で厳重に遮断しています。
堀切の南は、削平がよく低い切岸で数段にわかれています。
北側の斜面全域には竪堀列が見られ、北東角には虎口に関連すると思われる張出があります。
高屋城のある尾根とは深い谷を隔てて東の尾根の250mのピークに寄せ城はあります。
寄せ城の名称は井原市史1で仮称と紹介されていますのでそれに従います。
寄せ城の遺構は、ピークから約20m南東方向に下がったの斜面にあり、
30〜最大70cmの高さの低土塁が東、南、西に約30mにわたって見られます。
土塁の外側は土塁上から約1mの切岸になっています、ピーク部分には土塁は殆ど見られず切岸のみになっています。
北側につながる尾根の基部は一段低くなり、空堀かもわかりません。
その周辺には、竪堀と思われる落ち込みが数か所見られます。
城址一帯は深い藪のため縄張を取るのに自由に歩き回る事が困難なほどです。
したがって、今回あげました私の縄張図は井原市史1の尾崎氏の図とはかなり異なり再度の調査が必要と考えています。
この寄せ城が高屋城を毛利氏が攻めた際の陣城であるなら、その年次は永禄12年でありそのような時期に
毛利氏がこの様な低土塁の陣城を作るであろうか私には分かりません。
ただ一つ気になるのが、10月9日のブログで紹介しました笠岡市の土塁の一つ真、倉山土塁に隣接する明知山城に
藤井氏が入った事がある様で、あるいはこのことに関連すのか気になるところです。

高屋城写真

竪堀 

堀切

寄せ城写真

西部土塁

南部土塁

南東角土塁

  • 参考文献

井原市教育委員会, 井原市編集委員会
 井原市
ブログ
 かさおか遊歩 Enjoy walking in kasaok 
       笠岡周辺中世城址一覧 参考にさせていただきました。