目高の築地

  • 城名 目高の築地
  • 所在地 兵庫県佐用町西大畠・上秋里

目高の築地縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

目高の築地北縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

目高の築地南縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

目高の築地は上月城の西、国土地理院の地形図で後山(標高404.6m)と表記のある山と、
その南の標高390mのピーク2箇所に陣城遺構があり、それらをつなぐように土塁が見られます。
後山山頂部は、わずかに切岸の痕跡以外に北側に不明確な空堀が見られます。
後山山頂の南東角から南東方向に降る尾根上には、1〜2mの高さの土塁が南の陣城まで約350m続いています。
鞍部を挟んで南の標高390mピークが南の陣城で、1m前後の高さの土塁が全周を囲んでいます。
土塁の内部は、尾根の自然地形がそのまま残されています。
北に一か所、南に2箇所の土塁の切れている所があるが南の中央部のものは虎口では無いと私は思います。
南東角の虎口は、外から入ると左に折れて入るようになっていると私は考えます、
これと同じようのものが東の土塁の外にもあり、そうなると東側の尾根も郭だったかもしれません。
北西の虎口は、平虎口で周辺は石で固めれれていた痕跡が見られます。
南の陣城から東に尾根をつたうと柊神社があり周辺には切岸が見られます。
柊神社の手前から南に降ると上月城と大亀山の分岐があり、
大亀山からさらに東に分岐する尾根には数段の削平地を持つ城郭遺構、陣城では無く古い城と私は感じました。
さらに平瀬に降る尾根上にも陣城と思われる、削平地及び切岸が数か所見らえます。
目高の築地は、上月城の西の守るため羽柴方が築いたとされていますが、
毛利勢は目高の築地を越えて東の大亀山及び寄延の太平山中心に布陣したためにその存在
意義をなくしたと私は思います。

目高の築地南写真
西側虎口

西端土塁

北東部土塁


東虎口

目高の築地北写真
南東尾根上の土塁



  • 参考文献

戎光祥出版社株式会社
  高橋成計氏著 織豊系陣城辞典

目高の築地から大亀山城のルート