駆倉山城

駆倉山城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

関峠周辺城郭位置図(国土地理院の電子地形図25000)

敦賀市の西は、敦賀半島の山地の稜線で越前と若狭の国境になっています。
この国境に関峠があり、東から金山城、今回の駆倉山城、狩倉山城、中山の付城、岩出山城が連なっています。
駆倉山城は関峠の南の標高212.6m(比高約110m)のピークに位置します。
通常この様な境界付近に築城すると紛争のタネになるのであまり例は無いと私は思っていますが、
あえてこの様な所に城を作る様な、事情があったことを伺えます。
この事は粟屋氏の国吉城を朝倉氏が攻める際に、先の五城を陣城として築いたように説明されます。
しかし素人の私が、先の城を見て持った印象は東から来る勢力に対しての守りのための様な気がします。
駆倉山城は四周を土塁で囲まれた単郭の城で、土塁は高さ2m、幅5m前後あり、かなり念入りに築かれたような印象をうけます。
土塁の外側は、西側を除き空堀がみられます。
虎口は北西と北東の角に2箇所あり、
北西の虎口は、平虎口ですが虎口の外西側に土塁が伸びて入り口の方向を制限している様に見終えます。
北東の虎口は、虎口の外に土塁に囲まれた郭があり今年の中世城郭研究者セミナーで馬出郭と紹介されてものです。
馬出郭を出て東に尾根を下ると、現在送電用鉄塔が立っていますが鉄塔建築の際に
発掘調査が実施された様ですが遺構、遺物は出いません。
此処からは金山城がまじかに見下ろすことができます。
山頂から北に尾根を約300m降ると、食違い空堀、土塁の虎口が、一部猪による破壊がありますが見られます、
この間何ヶ所の切岸が見られます。
関峠を西に降った所にある狩倉山城は、現在南から西にかけて大規模に削り取られソラーパネルが建設されています。
一応地元の教育委員会との話し合いのうえでの建設だとのことですが心配なことです。
なお、関峠の北側の旗護山(標高318.2m)も城郭の伝承が有ったので稜線を歩きましたが私は、城郭遺構を見出す事が出来ませんでした。

北西虎口写真

北東虎口写真

東虎口馬出郭写真

東側土塁写真

西側土塁写真

西側土塁張出部写真


  • 参考文献

中世城郭研究会
 中世城郭研究 第27号  高田 徹氏 越前朝倉氏築城術の一考察−若狭国吉城付城を中心にして
美浜町教育委員会
 駈倉山付城跡