松尾山城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)
関ヶ原の南にある松尾山(標高291.8m/比高約200m)山頂付近が松尾山城です。
小早川秀秋が陣が置いたとされる、松尾山は多くの谷が入り込んで複雑な地形になっており、ここに上がってしまえば関ヶ原方面に短時間で出ることはできないと私は思います。
大垣城の伊藤盛宗は決戦前日に、小早川秀秋に明け渡すまで間(約一か月)当城に在陣したとされますが、その間に大幅に改変を行えたと私は考えられず、現在見られる縄張は、関ヶ原以前の近江、美濃の境目の城(斎藤氏は別として堀氏及び不破氏が関連した城)としての形と考えます。
山頂とその南につながる尾根、山頂の西側に大きく入り込んだ谷をはさんだ西の尾根、山頂から東に延びる尾根にそれれぞれ郭があるが、何れも折れのある低土塁が見られる、山頂の郭(主郭?)南の虎口は土塁による枡形の形をして、織豊城郭の特徴とされるがはたしてそうだろうか、東の尾根の上段の郭先端の一段落ちた土塁に囲まれた郭は、明らかに虎口に関連した物と私は考えます。
西尾根の南の郭は、他の郭と違って土塁は見られず、中央の仕切り土塁は削り残しの様な形で、その北は粗自然地形が続きます。他と比べれば古い縄張り様な感じがします。
松尾山城について、最近話題の玉の城山、菩提山城等を含め検討をする事が必要があると思います。
山頂尾根郭写真
主郭虎口
中郭南切岸
南郭
東郭土塁
山頂西谷部郭写真
西土塁
仕切り土塁
北側
東尾根の郭写真
上段郭先端の虎口東方向
上段郭先端の虎口西方向
上段郭の北土塁
上段郭南の折れ部
上段郭西端
下段郭の東端
西尾根郭写真
南郭南端の堀切
北郭虎口
北郭窪地?
- 参考文献
株式会社 人物往来社 1966年12月15日発行
日本城郭全集⑦(愛知・岐阜編)
手持ちの資料の中でまとまった記述があるのがこれしかありませんでした。