宮田山城縄張図(国土地理委員の電子地形図25000)
今回の宮田山城の県報告書の縄張図を見て、その立地(高梁川右岸の張り出した尾根先)、竪堀(畝堀)を持つ縄張が、倉敷市の消滅した南山城と共通する所があるように感じ登ってきました。
JR新見駅西の、麓に大医寺のある高梁川に張り出した尾根先(標高305.7m/比高90m)に宮田山城はありました。
基本単郭の城で、郭南端に高さ約3.0mの土塁、その南に2条の堀切がありますが現状は浅いもので,
厳重に遮断している南山城(初めて登った時も深い堀切でした)と異なっています。
郭の東側から北にかけて明確な切岸が見られますが、西側はあまり明確でではありません。
土塁付近、北東、北端に竪堀が見られますが、長さは最大20m(殆どが15m以内)で南山城の様な麓まで届くようなものではありませんでした。
西側に小さい尾根が降りていますがその根元に、県報告書には竪堀が書かれていますがごく薄いもので私には竪堀とは確信持てませんでした。
北東角付近に一段切岸が西に延びていますが、虎口に関連するものかもしれません。
以上の様な宮田山城ですが、南山城との関連について何とも言えないのが私の感想です。
降りてきて麓の大医寺のご住職のお話を聞く事が出来ましたが、城名ついて宮田城、大医寺は宮田氏の開基、地元では宮田山城が毛利は使ったように考えておられるようです。
南端土塁写真
土塁背後の堀切写真
土塁内側(北)写真
土塁背後(南)写真
東側切岸写真
竪堀(畝堀)写真
竪堀写真
虎口(?)写真
遠望写真
- 参考文献
岡山県中世城館跡総合調査報告書 第2冊 備中編