岩屋山城の西側包囲陣城

尾根分岐の砦・梅ノ木砦縄張図

砦ア・砦イ縄張図

砦ウ・砦エ縄張図

石蕨の砦縄張図

砦オ縄張図

砦カ・砦キ縄張図

岩屋城は天正12年の宇喜多氏による包囲の陣城が残っています。
現在、南の万楽の上、妙福寺の上、東の尾根の南荒神の上、予右衛門の上等陣跡は行きやすく整備がされている所もあります。
東尾根の北側には、井の奥、栃ノ木、的場の峠、ハッテ場等の名前の付いた砦がありますが、
藪や倒木が多く道もなくたどり着くには苦労します。
西側の包囲は、名前の付いた砦は石蕨の砦しかありませんが、
山形省吾氏の「美作国の山城」では尾根上に砦が書かれています。
今回、岩屋の二の郭から北に延びる尾根を通って西側の包囲を反時計回りに歩きました。
北からの尾根がつながるところに砦があります。
この砦は、北、東、南に土塁痕跡が見られ北の土塁の外は浅い堀切になっており、
南につながる尾根には土塁が連なっていました。
砦ア、イ、ウ、エ、オ、カ、キ、のいずれも幅10m尾根方向の長さが20mを超えること無く、岩屋城方向に土塁が見られました。
なお砦エは南の西側に竪堀がありました。
梅ノ木の砦は、ピークの平坦地と北側の腰郭があり郭には土塁は見られません、周囲は急傾斜となっています。
石蕨の砦は岩盤が露出する尾根の南端に位置し、
包囲陣の中で最大ではないかと思われる規模でピーク部の北、東、南を土塁で囲まれた郭と、
その西一段下の長さ100mを超える平坦地があります、この平坦地の北側には切岸と土塁痕跡が見られました。
なおピークの郭の東にも平坦地があり、郭かもしれません。
石蕨砦の南、砦キの東に土塁、砦オの南に土塁、さらに南には切岸が見られました。
砦キの先、柿の木の上砦から往還の上砦目指しましたが藪がきつく今回は断念しました。

分岐の砦写真

梅ノ木砦写真

砦ア写真

砦イ写真

砦ウ写真

砦エ写真

石蕨の砦写真

砦オ写真

砦カ写真

砦キ写真

  • 参考文献

第二十五回国民文化祭津山市実行委員会
 美作国の山城