- 城名 北浦城(蛇ヶ谷陣所)
馬野砦(仮称)
北浦城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)
馬野砦(仮称)縄張図(国土地理院の電子地形図25000)
天正7年9月、北畠(織田)信雄は伊賀に侵攻したが、その際信雄の重臣である柘植 三郎左衛門(保重)は鬼瘤峠を下り馬野に至りましたが伊賀衆に行く手を阻まれ打ち取られてしまいました。この戦いに関連する城郭を高橋成計氏が調べておられるのに同行しました。1ヶ所目は伊賀中世城館調査会が確認された北浦城で全長約30mの低土塁で囲まれった単郭の城です。南の尾根先端にも切岸が見られます、西側の尾根続きにも不明確な削平地があります。2ヵ所目は今回高橋氏が発見された馬野砦(仮称)です。鬼瘤峠は現在場所が分からなくなっていますがその候補として木津川と左妻川にはさまれた尾根がありますが、その尾根の中馬野の集落に向かって張り出した標高約440mのピークに馬野砦はあり約30m四方の規模です。南は尾根の稜線を土塁状に掘り残し北、西、東は1m前後の切岸で一部外側に空堀、内側に土塁が見られます。東側土塁下は一段高くなっています。
北浦城写真
郭内部西方向
郭外部西側
郭内部東方向
南側土塁
北側土塁
南尾根切岸
馬野砦写真
西側切岸
北東角切岸
北東角より南方向
南側土塁
東側切岸
南東角切岸
遠景写真
- 参考文献
伊賀中世城館調査会
伊賀の中世城館
伊賀中世城館調査会
調査日誌第279号 古城雑記 平成25年1月31日号