御所陣山城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)
天文22年、尼子氏は(現)島根県奥出雲町から雲伯路(現国道432号線)の王貫峠を南下し、(現)庄原市の口和町の竹地川と宮内川が合流する向泉付近で竹地川をはさんで毛利氏と対陣しました、この戦いを泉合戦と呼ばれています。
この時毛利氏は竹地川の西側、尼子氏は東側に布陣したようで、この合流点より北東約2kmの標高346m(比高30m)の丘陵の南西方向に張り出した尾根先端のピークが御所陣山城です。
現状の御所陣山城は、ピークの全周を3~4mの切岸で落として郭を作り、その根元に空堀と空堀に直行の数本の堀が見られる単郭の城です。
城域は耕作の後は見られませんが、風化により郭上面の角が落ち、根元の堀も埋まっている様に私は見ました。
「広島県の中世城館を歩く」では、尼子の陣城とされており興味深いものです。
切岸南側写真
空堀東側写真
空堀西側写真
東堀切写真
空堀南側写真
遠景写真
参考文献
株式会社 渓水社 令和3年2月1日 発行
表 邦男氏著 「広島県の中世城館を歩く」
広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第4集