佐開城

佐開城縄張図

福井県大野市の佐開城に行ってきました。
城名については、日本城郭体系(393頁)や遺跡地図では神明山城とありますが参考にさせていただいた
ブログ「越前・若狭の城と考古学」さんを尊重して佐開城とさせていただきます。
佐開城の位置は大野盆地の東、九頭竜川が盆地に流れ込む所で九頭竜川の左岸(南)に聳える荒島岳から下る尾根が
佐開集落に下るところのピークにあります。
福井県・越前では朝倉氏の支配のもと織田氏一向宗勢力との抗争がありその中で
朝倉氏特有の縄張の城が無いか調べています。
特に、若狭の中山の付城、岩出山城金山城や近江小谷城東尾根の大嶽城、福寿丸、山崎丸等、
朝倉氏が関わったとされる陣城と縄張を共有する城を探しています。
領国内に大きな争乱が無く、外部に出て戦うことが多くその際作られた陣城が領内の城に見られない縄張の特徴を持つことが、
正直、素人の私の脳では理解できないので、
そこで今まで見てきた福井県の城以外にも注目して調べて行こうと考えています。
今回、佐開城で注目したのは北の郭にある土塁囲みですが、約15m四方で土塁の高さは最大2mで、
北、東、南に土塁があり西は空いています。
虎口の土塁の切れ間は無く西の切岸の端を入ったと思われます。
土塁外側の東と南の切岸が高く櫓台もしくは塹壕的な機能を持つのではないかと思いました。
明らかに東側に続く尾根、ここには現在林道(市道)が通じており当時この道があったかどうか私には分かりませんが、
この方面を警戒していると思います。
南に自然地形をへてピーク部に2〜3段の削平地、さらに北西に続く尾根上にも2箇所の削平地がみられ、
特に先端の削平地は広く数段の腰郭を持っていました。

今回時期が早く藪がきつくあまり良い写真がありません、
ブログ「越前・若狭の城と考古学」さんが見やすい写真を載せておられます。

北郭土塁囲内側から写真

北西端郭の堀切写真

遠景写真

  • 参考文献

ブログ
 「越前・若狭の城と考古学」
新人物往来社
 日本城郭体系 第11巻 京都・滋賀・福井