高地山城

高地山城縄張り図


天正13年の南紀侵攻戦における寄せ手の陣城を、この数年探しましたが今まで確実に
そう言えるものは有りませんでした.
しかし今回の、高地山城はかなりの確度で秀吉勢力の陣城と私は考えます。
中辺路の潮見峠に至る長尾坂の尾根の東に、浄土山がありこの浄土山にも秀吉勢力による伝承のある
浄土山城がありますが秀吉勢力によるものとの確証は持てませんでした。
浄土山の南の標高226.1mのピークが高地山城です。
山はこの地方の例のもれず山頂付近まで梅林となっていますが、但し城域は現在雑木の藪です。
ただ城域の東に梅の木が有り、過っては城域近くまで梅林となっていたかもしれません。
高地山城は一辺10m前後の五角形で、東側に虎口があり虎口周辺には土塁の痕跡があります。
西及び北の切岸は約1,5mの高さがありますが、南側は不明確なものです。
東側虎口の外は削平地になっています。
この削平地から北に向かって切岸(竪土塁?)伸びており、その先端に数段の削平地がありました。
高地山城の現状は以上ですが、私が今まで見てきた羽柴秀吉に関連する陣城に
共通する部分が見られます。

虎口周辺土塁の写真

西及び北の切岸の写真

  • 参考文献

日本城郭体系 
 第10巻 和歌山
上富田町
 上富田町誌資料編上
上富田町ホームページ 
 上富田町文化財教室シリーズ
長谷 克久氏
 山本一族史 城跡探訪記