松倉豊後守砦

  • 松倉豊後守砦縄張図

天正9年伊賀の乱の際、筒井勢の伊賀進攻のルートは笠間峠を使用したことが考えらえます。
笠間峠には、2013年12月5日の記事で紹介しましたが、低土塁囲みの陣城が約100m距離を隔てて三つあります。
笠間峠を降りた名張市黒田は、同名の松倉豊後守城がありますが、現在は勝手神社のため改変があり旧態がよくわかりません。
私は、筒井勢は笠間峠以外の別のルートも使ったのではないかと考えています。
名張市朝日町(旧北山村)の城山には、筒井順慶本陣の伝承のある短野城があり、土塁囲みの主郭や空堀がよく残っています。
さらに笠間峠より直線距離で約10km上流の所に、筒井城と呼ばれる天正伊賀の乱の時作られた伝承のある城があります。
この両城の中間付近の名張市八幡字刈山に松倉豊後守砦があります。
場所は、八幡工業団地の周辺にわずかに残った緑地に奇跡的に残っています。
比高70mの丘でピークを掘り込んで周囲に土塁を掘り残した主郭を作って、南に延びる尾根上に2段の郭があります。
郭の周囲に低土塁が残っています。
現在城跡付近は、ギフチョウの保護地に地元で管理されているので立ち入りが制限されています。
  
主郭写真

主郭虎口写真

主郭背面切岸写真

二段目郭写真

三段目郭写真

  • 参考文献

三重県教育委員会
 三重県埋蔵文化財調査報告30 
 三重の中世城館−開発集中地域中世城跡分布調査報告書−