木倉田土境の城

2015年4月15日の記事で大坊山城を紹介しましたが、
愛知中世城郭研究会の愛城研報告19号で畑 和良氏が「備前国天神山城の周辺の城館群」として詳しく論考されています。
その中で大坊山城と同じような、低土塁囲みの木倉田土境の城を新たに発見さえた旨書かれていたので、2月6日行ってきました。

木倉田土境の城縄張図

大坊山城は、天神山から南東方向に延びる尾根の先端にありますが、この木倉田土境の城は、天神山から北東方向に延びる尾根で、
標高約320mの鞍部を経て標高約370mのピークに存在します。
この尾根は基本的に、一部檜の混じる雑木林の藪ですが、城のある地点は雑木の疎らな林で気持ちよく城を見ることが出来ました。
遺構の周囲は1〜2メートル程度の切岸で、北側を除き低土塁があります。
土塁は、東側がやや高く最大約1.5mあります。
北東、北西角の塁線が大きく折れており、南西角は張り出す形で折れています。
南側に土塁の切れ目あり平虎口と思われます。
北東角の折れの部分も私は虎口と思われました。
南の虎口と同じように石積で補強されており、左(東側)土塁がたと他と比べて高くなっていることが理由です。
見られる遺構は以上ですが、事前に想像した以上に見ごたえのあるものでした。
大坊山城は、天神山城方向のみとうしはききませんが、こちらの方は長い稜線の天神山城よく見渡せることができました。

西側土塁写真

南西角石積み写真

南側切岸写真

南から西の土塁写真

北西折れ部写真

北東折れ部写真

  • 参考文献

愛知中世城郭研究会
 愛城研報告19号 畑 和良氏「備前国天神山城の周辺の城館群」