-城名 大坊山城
木倉田土境の城
木倉田土境の城縄張図(国土地理院の電子地形図250000)
大坊山城(国土地理院の電子地形図250000)
大坊山城・木倉田土境の城位置図
2015年4月15日のブログで大坊山城、2016年2月12日のブログでは木倉田土境の城を紹介ししましたが、見逃していたこともあり再度歩いてきました。大坊山城は天神山から南東方向に延びる尾根の先端にあります、木倉田土境の城は天神山から北東方向に延びる尾根で、標高約320mの鞍部を経て標高約370mのピークに存在します。
両城共基本的には周囲は1〜2メートル程度の切岸で、一部を除き低土塁があり、塁線が大きく折れている部分が見られ大坊山の東角は張り出す形で折れています。両城とも虎口は明確でなく木倉田土境の城は南側に土塁の切れ目があり平虎口と思われます。また北東角の折れの部分も私は虎口と思われました。大坊山城の方の西側の切れ目は後世のもので、南西角のものは土塁が食い違っているので虎口と思いました。
両城は、天正8年建部の高城山城、鶴田城を攻める際の陣城と考えられる、寄城、蕨尾城と同じような形態から、天正3年の宇喜多氏の天神山城攻めの陣城と私は考えています。
大坊山城写真
北西折部
南東虎口
北東角張出部
木倉田土境の城写真
東側土塁
南側土塁内側
南側土塁外側
南西角部
北西折部
-参考文献
おかやま全県統合型GIS 遺跡地図
愛知中世城郭研究会
愛城研報告19号 畑 和良氏「備前国天神山城の周辺の城館群」