百田城(仮称)宇喜多の陣城か?

百田城縄張図

天正七年以降、毛利氏と宇喜多氏(織田)は備中では足守川を挟んで対峙していました。
毛利氏の境目七城の一番北にある宮路山城に対して、足守川の対岸(東)に宇喜多氏の鍛冶山城があります。
宮路山城に対して、鍛冶山城以外に宇喜多氏の陣城と思われる城が周辺に幾つかあります。
宮路山城の北約2kmに、毛利方と思われる立石城があります。
百田城は、この両城の間に楔を打ち込むような位置にあり、宇喜多氏の陣城と考えると面白いと思いますが、
確証は有りません。
遺構は、約100m離れて東西の2か所の郭があります。
西の郭は小さく北、西の切岸が明確にわかり、西側に低い土塁が見られます。
東の郭は幅20m、東西の長さが100mを超える細長い郭で、
西の端部分に明確に土塁が残っています、南の切岸には折れが見られます。
形態的には、他の織豊系の陣城の特徴を持っています。


西郭切岸写真

西郭土塁写真

東郭土塁写真


  • 参考文献

おかやま全県統合型GIS