柏原城

柏原城縄張図

兵庫県立『国見の森公園』内にあり、施設のある国見山から谷を隔てた
西の標高約490mの山上に、柏原城はあります。
遺構は、山頂から少し下がった北の先端の削平地と、
その南に空堀で守られた郭が見られます。
山頂部の郭は、南北に数段の腰郭があります。
西側は、10m位の高さで自然地形が残されています、少し不思議なところです。
自然地形の西には、浅い堀切状の地形が、2か所見られます。
南の斜面には空堀があり、この空堀を隔てて南の郭があります。
南の郭は、北西の隅に虎口が開いています。
南方面には、高い切岸と空堀、土塁で守らています。
柏原城は、織豊系の陣城と紹介されるむきがありますが、私は在地系の城と考える方が良いと
思います。


南郭写真


南郭の空堀写真


南の空堀東側写真


南の空堀西側写真


  • 参考文献

 宍粟市歴史資料館の学芸員の方に頂いた、資料がありますがコピーであり、
 元の資料が何であったのか、忘れてしまいました。
 その中で、城主を早瀬帯刀正義。
 天正8年、秀吉の宇野氏・長水城攻めの際に宇野氏の家臣、小林、春名氏が
 守っていたと紹介されています。
 柏原城付近は、山崎から新宮に抜ける道があることも書かてれています。