兵庫県立『国見の森公園』内にあり、施設のある国見山から谷を隔てた西の標高約490m(比高390m)の山上に、柏原城はあります。
遺構は、山頂部の東側に削平地とその東、南、北に数段の腰郭があります。
山頂から少し南に下がった南に続く尾根が取りつく所に、空堀で守られた郭が見られ現在はこの郭に直接南から入るように登山道が付けら付けられていますが、本来は西から回り込んだ所に虎口があり背後は空堀が西に向かって続いています。
山頂部の西側は、自然地形で西、南、北、に削平地があります。西に少し下った所に浅い堀切状の地形が、2か所見られます。
柏原城は、織豊系の陣城と紹介される事がありますが、私は在地系の城と考える方が良いと思います。
南郭の空堀写真
南郭虎口写真
南郭土橋写真
南の空堀東側写真
南の空堀西側写真
西部堀切写真
- -参考文献
城郭談話会 2015年4月1日発行
近畿の城郭 2
宍粟市歴史資料館の学芸員の方に頂いた、資料がありますがコピーであり、元の資
料が何であったのか、忘れてしまいました。
その中で、城主を早瀬帯刀正義。
天正8年、秀吉の宇野氏・長水城攻めの際に宇野氏の家臣、小林、春名氏が守って
いたと紹介されています。
柏原城付近は、山崎から新宮に抜ける道があることも書かてれています。