立石城

立石城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

高松城の戦いの前哨戦の中心、
足守の宮路城の北約2kmの国土地理院地形図に城山(標高242m)と表記のある山頂が立石城です。
宮路山城の攻防に関する文献などには立石城は出てきませんが、日本城郭体系では城主を毛利方の長門景成とあります。
位置的に宮路山城の後背地に当たるため、なにかしらの役割を果たしたと私は考えています。
立石城の遺構は、西と東の2か所に分かれています。
西の遺構は南北に延びる尾根上に位置し、ほぼ自然地形で北と南の先端に明確な切岸がみられる削平地があります。
東の遺構は東西に延びるは細尾根上にあります。
この尾根の北側は、大規模な土取りにより地形が変化しているので現状以外の遺構の有無は不明です。
ピークの東側に土塁のある郭から東に向かって数段の郭がみられます。
ピークの西から南の斜面に4本の竪堀があり、
南に繋がる尾根の基部には堀切があり堀切を超えて進むと削平地があります。
東の先端の鞍部を越えてピークの上面は、やや広い削平地となっており土塁及び石垣と見れる様な所もありますが、
私は近世の石切り場と思いましたが、本来は郭であったのかもしれません。

東部ピーク郭土塁写真

東部ピーク竪堀写真

遠望写真

  • 参考文献

株式会社新人物往来社
  日本城郭体系 第13巻 岡山・広島
岡山県
  おかやま全県統合型GIS 遺跡地図