軽部山城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)
河川改修により削り取られた南山城に対して、高梁川の対岸(東)の国土地理院の地形図に軽部山と表記のある(標高244m)山頂から南西方向に下る尾根の、標高190mのピークが軽部山城です。
私は近年広島県の城を訪れるようになりましたが、大阪への帰路は国道486号線を通ります。このルートは尾道の北から府中、井原を経て総社に至り、また尾道から西は世羅を経て安芸高田へ容易に至ることが出来ます。概ね平坦な行程で途中から小田川の水運も使えるのではないかと思います。私は毛利氏の東への侵攻ルートの一つがこれではないかと思います。このルートが高梁川を渡るのが南山城付近である様で、南山城はこの渡河点を管制するものと私は妄想しますが、軽部山城も同じ目的を持つ物と思います。
軽部山城の遺構は、東西の二つの郭があり何れも周囲に部分的な低土塁が見られ、東の郭の北は一段低くなり東には折れを持つ土塁があります。南東角は虎口と思われる土塁の切れ間がありここを出ると、南のテラス状の小削平地を経て郭の外に出る様に見えます。
西の郭は自然地形の所が多いながら、軽部山城の最も注目すべき点である南の尾根上を下る2本の土塁があり、先端は直角に折れて土塁の間を塞いでいます。この様な形のものは他では見たことが無く、どの様な意図を持っているのか分かりません。
東郭北側写真
東郭土塁写真
東郭虎口写真
東郭南小削平地写真
竪土塁写真
竪土塁先端写真
南山城から軽部山写真
- 参考文献
岡山県中世城館跡総合調査報告書 第2冊 備中編