仁位山城

 

仁位山城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

仁位山城には昭和の終わりごろ日本城郭体系を持って登りましたが、当時は藪山で私自身の城郭に対する知識も乏しく何か珍しいものが在ると思いましたがよく見ず帰ってきました。

その後上月城周辺の陣城(目高の築地、大亀山城、大成山城、大平山城、円光寺砦 等)を歩いた結果、仁位山城もしっかり見る必要があると思いネットで色々調べると最近地元で整備がされて見やすくなっているようなので「近畿の城郭」を参考に歩いてきました。

仁位山城は東側に高倉山からの尾根が続いている以外の、麓を北から西、南にかけて佐用側が大きく蛇行する山(標高232.9m/比高150m)です。

郭と思われる部分は西、中央、東の三か所あり、西部は北に向かって張り出した尾根で堀切の両側に郭が2か所あり、周辺にも削平地があるようだが後世の改変があるようでよく分からない。

中央部は基本自然地形のようだが北と東に切岸があるように見え、中央と東部の間は東に下がる傾斜地で北に向かって尾根が張り出していて、明明確な切岸とその下に堀切が確認できる、この尾根は高倉山に続きます。

東部は北に低土塁、南は高い切岸に囲まれた郭でこの南斜面に仁位山城の特徴である竪堀列(畝堀)があります。この畝堀の存在が毛利の陣城の証明とされていますが、最近私は広島県の北、東部行きますがこのような斜面に竪堀を並べる例をあまり見ないように思いますが西部のほうにあるのでしょうか?このような竪堀列(畝堀)で毛利の関係する城で思い浮かぶのが「岡山県吉備中央町 勝山城」

毛利に関係があるか分かりませんが「宍粟市 篠の丸城 」ただ此処は南斜面の畝堀は城内整備の際に伐採した樹木を畝堀部に積まれて非常に見にくくなっています。あと「北九州市小倉区 長野城」くらいで私自身あまり例を知りません。広島県北、東部の城の竪堀(畝堀)は比高のない低丘陵の場合は、斜面全周を放射状に巻く形で、比高のある城では主要な登り口(守りの正面)の尾根に竪堀を並べる形が多いように思っています。津山市の医王山城の周辺の陣城でもそのようになっているように思っています。

 

東郭写真

南側の竪土塁

北側尾根の竪堀

北側尾根の土塁?

北側の切岸、土塁

東先端の郭

南東部の土塁

南の切岸

 

竪堀列(畝堀)部の写真

横堀

横堀端、張り出し部

横堀



南竪堀列(畝堀)写真

 

西尾根郭堀切写真

 

高倉山に続く尾根写真

 

遠望写真

 

  • 参考文献

   戎光祥出版株式会社 2016年3月1日発行

    城郭談話会編 図解 近畿の城郭 Ⅲ 

   戦乱の空間編集会 2019年7月 発行
    戦乱の空間第18号 高橋成計氏「播州上月城合戦と城郭」