天狗寺山城塞群・烏ヶ仙城及び宇喜多の陣城・横手城・福田城・八臥山城・丸山城・新宮城・黒目城

医王山城と周辺の城について。


医王山城縄張図 高橋成計氏作図、
氏の許可を得て使用しています無断での他への使用及び複製しないでください。

天狗寺山は津山市北部加茂町に聳える標高831,8mの山で、
その尾根に医王山城をはじめとするいくつかの城があります。                             
平成22年に津山市より美作の山城が刊行され、それまで情報が少なかった美作の城を訪れることが多くなりました。
その中で頁128の梶間山城に興味を持ちました。                           
梶間山城は比高500m(標高720m)を超える山の上に土塁囲みの郭、畝掘を持つ特異な縄張です。
色々調べ、結果地元津山市吉見の方から情報を得て現地を訪れました。確かに遺構は存在しました。
この梶間山城を始め、烏ヶ仙城、塩屋城、天狗寺城、吉見仙城、医王山城、は天狗寺山から南に張り出す尾根上に存在しています。
この諸城の中で、医王山城は天正8年から2年間毛利氏が宇喜多氏の攻勢から守りぬいたことで有名で、この間毛利氏は医王山城に兵糧を入れたことが記録に有ります。
梶間山城、烏ヶ仙城、塩屋城、天狗寺城、吉見仙城、は医王山城を守る(兵糧の補給ルートの確保)ために毛利氏が作った陣城(と私は考えます)で、五つの城を連携して考えなければならないと現在私は考えています。
医王山城は確かに険しい山上に作られた、攻めにくい城ですが城域は狭くさほど多くの人数がこもれるようには思えず、他の5城の存在抜きでは考えにくいと思います。津山北部の山地には、医王山城以外に桝形山城が有りこの2城の間を連絡するように、福田城、八臥山城と、毛利方と考えられる城が有ります。
宇喜多勢はこれらの城に対して津山南方の山地に、丸山城、荒神山城、横手城、新宮城、黒目城
などを築いた様です。荒神山城は宇喜多氏重臣の花房氏の城で石垣の桝形を持つ本格的築城ですが、他の城は低土塁で作られた宇喜多及び羽柴氏の陣城の特徴を持ちます。新宮城は、東西のピークの間を巨大な空堀、土塁で分断し東西双方に多くの削平地を作っています。(第二次大戦後まもなく開墾されたようです)南縁には土塁が明確に残っています。宇喜多氏はこの様に美作地方では激しく毛利氏と戦っており、この事は羽柴秀吉織田氏)の因幡鳥取、備中高松攻めに対して第二戦線を作ることとなり秀吉優位の為大きな貢献を果たしたと私は考えます。

毛利氏勢の城
梶間山城縄張図                       

梶間山城北側空堀

梶間山城北側土塁

梶間山城南側土塁

烏ヶ仙城縄張図

烏ヶ仙城北堀切

烏ヶ仙城東竪堀


烏ヶ仙城南堀切

塩屋城縄張図

吉見仙城縄張図

桝形山城縄張図

桝形山城北部郭張出部写真

桝形山城北端郭写真

福田城縄張図

福田城畝掘写真

福田城畝堀写真

福田城虎口写真

八臥山城縄張図

八臥山城畝堀写真


宇喜多勢の城(陣城)
丸山城縄張図

丸山城土塁写真

横手城縄張図

横手城虎口写真

横手城西側切岸写真

新宮城縄張図

新宮城西郭土塁

新宮城中央土塁

新宮城櫓台写真

黒目城縄張図

  • 参考文献

美作の山城
2012年 中世山城シンポジュウム(〜美作の戦国時代を知る、見る、考える〜)
  美作国における毛利氏の城郭遺構 高橋成計氏講演レジメ