梶間山

梶間山縄張図
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城郭談話会編 近畿の城郭2兵庫県大聖寺山城の項で445頁に梶間山城の縄張り図が宇喜多氏を含む織田型の境目城郭の祖型とされています。
この見解は、私が梶間山を含め周辺の城を見たうえで、梶間山は医王山城(祝山城)へ兵糧を入れる為のルートを確保する事を
目的に作られた、毛利方の城とする私の考えと異なるので、今回詳しく梶間山について報告したいと思います。
天正8年6月19日、小早川隆景苫田郡祝山城在番湯原右京進春綱・小川右衛門兵衛元政等の堅固を賞し同郡舛形城より国人福田雅盛をして兵粮を送ることを約す。小早川隆景書状」
日本城郭体系第13巻・岡山では、その他の城館一覧で仙々城とし約3km南の別所城の支城と紹介されていますが
詳細不詳とあります。
岡山GISの遺跡地図には10月1日現在、いまだ梶間山の記載はありません。
梶間山について具体的に縄張図等で報告されたのは美作国の山城」において山形省吾氏が初めての例と思います。
私は2010年に美作国の山城が出版されると直ちに入手し山形氏の縄張図を食い入る様に見ました。
その中で特に興味を持ったのは梶間山です、標高760mで比高でも500m超える高地に土塁囲みの郭と竪堀列をもつ城が
本当にあるのか俄かには信じることができませんでした。
そこで先ず自分の眼で確かめようと色々調べたところ、山歩きの方のサイトで南から烏山を経て梶間山に行くルートがあることを知り
梶間山を目指しましたが、この時は烏山の山頂の烏ヶ山城まで行きましたが、その先は雪で進めず断念しました。
その後数度トライしましたが梶間山にはたどり着くことができませんでした。
その後「中世山城医王山城跡保存会」の代表の方と連絡がとれ、また直接にお会いしてお話を聞く事が出来ました。
お話よると梶間山という山は無く、代表の方がお住まいの吉見の上の尾根のピークを梶間と呼び、そこに吉見の古老から城があることは
聞いている等色々情報を頂きました。
また麓から指をさして梶間の位置を指示していただき位置を確定する事が出来ました。
その場所は山形氏の図面の位置では.無く、北東の723mのピークでした。
そこで北の谷を通る林道を終点まで進み、その先作業道で760mと723mの中間の鞍部を経て梶間に至ることが出来ました。
確かに山形氏の図面とは若干異なりますが梶間山はありました。
梶間山の存在を確認すると、その縄張りと位置からまず思い浮かぶのが医王山城をめぐる宇喜多氏と毛利氏の攻防です。
梶間山と医王山城はともに天狗寺山を主峰とする尾根上にあり、この尾根にはこの両城以外に吉見仙砦(760mのピーク)、
烏ヶ山城、塩屋ヶ城、天狗寺城があり、また南のには八伏城、天狗寺山へ至る西の入り口には福田城があります。
これらの幾つかの城は毛利方の福田氏の関連する城であり、医王山城、梶間山、八伏城、福田城は竪堀列を持ちます。
これらの天狗寺山の城から西には、真庭の高田城から、津山の北の高地に高仙寺城、枡形城、利元城等の毛利方の城が
連なっています。
一方、宇喜多方の城は吉井川、加茂川を隔てて津山南の丘陵地帯に花房職秀の荒神山城を中心に、丸山城、新宮城、
横手城等を考えています。
荒神山城は別として何れも、低土塁、空堀により区画されて郭を持つ城です。
梶間山に関する文献資料は無く、
天正8年10月17日苫田郡祝山城の出城仙々城の番衆、
宇喜多直家方に内通す。吉川元春吉田光倫、森脇春方等を祝山城在番方に遣わし因幡国の隙明ののち直行の由を伝う

吉川元春書状」とありこの出城仙々城は梶間山の事かはよく分かりません
地元にも伝承も無いので絶対に私の考えが正しいとは思いませんが、以上な状況で位置的に一番北側に位置し医王山城の直上ともいえる場所にある、
梶間山が宇喜多側の陣城とする事には私は違和感を持ちます。
梶間山の遺構は、723mピークを削平し南と北の端を掘り込んで土塁状に残しています。
中央部の東、西の切岸の淵には明確な土塁は見られません。
虎口は西の中央部と、東は南の端の土塁に切れ目があり虎口では無いかと思います。
城の北には平坦地が続くため2本の堀切が有り、その両側に竪堀列が有り特に西側は虎口まで竪堀が続きます。
この様な竪堀列は、津山のこの時期の宇喜多系の城には見られないものです。

八伏城より見た梶間山写真

  • 参考文献

城郭談話会
 近畿の城郭2
第25回国民文化祭津山市実行委員会
 美作国の山城
株式会社新人物往来社
 日本城郭体系 第13巻 広島・岡山
中世城郭研究会
 中世城郭研究 第28号 
  高橋成計氏 備前宇喜多氏の陣城縄張の考察−陣城縄張の変遷
戦乱の空間編集委員会
 戦乱の空間 第12号
  高橋成計氏 織豊系陣城への移行時期を探る
 戦乱の空間 第13号
  高橋成計氏 美作医王山城合戦意義について
 戦乱の空間 第15号
  高橋成計氏 美作医王山城落城の危機について
津山市教育委員会
 新訂・増補 美作略史