岡山市教育委員会文化課発行・編集の「すくも山遺跡発掘調査報告」内で
「(足守の)東側の丘陵上の稜線には土塁が残存しており、部分的に砦状の
形態に囲っている箇所がある」と記載があり、
その砦についホームページ落穂ひろいで縄張、写真等で具体的に報告された
管理人の風夢氏は名称について「はてな1」「はてな2」と仮名を付けられています。
おかやま全県統合型GISの遺跡地図では名称未定としています。
戎光祥出版の高橋成計氏著「織豊系陣城辞典」では下足守A・Bの陣城と表記されています。
何れも高松城の戦いの前段階である冠山城、宮路山城攻めの、羽柴、宇喜多方の陣城とされています。
私は2016年1月2日のブログ国陣山城と織豊系の陣城で縄張図及び写真を紹介しています。
この両城について、Google Earthを見ると北から採土が迫り、何れは削り取られるのではないかと
危機感を持ち現地を確認しに行きました。
結果的には、岡山県の事業許可の表示がありそれを見る限りでは、削り取られることは無いようで安心しました。
ただしこれも業者が無茶をしないことが前提で、現に「はてな2」の直下まで重機が入った跡がありました。
はてな1写真
西虎口
- 参考文献
岡山市教育委員会文化課
平成10年3月31日発行
すくも山遺跡発掘調査報告
戎光祥出版株式会社
高橋成計氏著 図説 日本の城郭シリーズ6 織豊系陣城辞典
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落穂ひろい