岩屋城の東側包囲陣城

  • 城名 岩屋城の東側包囲陣城
  • 所在地 岡山県津山市中北上,宮部上

岩屋山城の東側包囲陣城位置図(国土地理院の電子地形図25000)

陣城1・2・3縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

陣城4・5・6縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

陣城7・8・9縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

陣城10・11・12・13縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

陣城14・15縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

陣城16・17縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

陣城18・19縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

岩屋城の東側包囲陣の尾根を2010年以来久しぶりに歩いてきました。
今回は、「荒神上の塁」から「的場の峠の塁」までを往復しました。
最初の陣城1は切岸だけですが「荒神上の塁」から続く土塁がこの切岸に取り付いて終わっていました。
陣城2は「与衛門上の塁」と掲示があります。
陣城3は「井の奥の塁」と掲示があり、北、東、南に空堀が見られ、
北側が一段高くなっており櫓台ではないかと思いました。
陣城4・5は一体のものと思われます。
陣城4の切岸には下から続く土塁が取り付いていました。
陣城5は南と西に土塁の痕跡が見られます。
陣城6最上段の削平地の東側に虎口に関連する落ち込みがあり、背後には堀切が見られました。
陣城7・8・9はいずれも痩せ尾根上にあり痕跡程度です。
陣城10・11・12この付近一帯を「とちの木」と呼ぶらしく、
陣城11には2010年には無かった小さな「とちの木」と書かれた木札がありました。
同じようにP1にも「井の奥」と書かれた木札がありました。
陣城10は、細長い削平地で北と南に堀切が見られます。
陣城12は、「とちの木の塁」と掲示があり、北側に2m程度の土塁があります。
陣城13は痕跡程度です。
陣城14は約10×6mの土塁囲みで南東角に虎口が開き、
何故か北側が今回崩されていました。
陣城15は、「的場の峠の塁」と掲示があり、
中央が一段高く東西に郭がありいずれの郭にも土塁が北側にありました。
陣城16・17・18・19は、最も北に位置する陣城群で、陣城16は「はって場」と呼ばれる所の様です。
陣城17は、陣城19、14,13等と同じように数m四方の規模の土塁囲みで、
中に入れるのが数人程度もので見張りを目的にするものかと私は考えます。
以上私が陣城と思うものですが総てが確証が有る分ではありません。
昨年歩いた西の尾根は、比較的歩きやすく「石蕨の塁」からの降りる方向を間違わなければ迷うことはありませんが、
今回の東の尾根は、複雑に分岐し迷う可能性大ですGPSは必持、単独行は避けた方がよいと思います。
2010年の時は、北から時計回りで下りましたが「とちの木の塁」を過ぎたあたりから迷い急斜面を下ったこともありました。
とくに今年は、藪及び倒木がきつくなり特に「とちの木の塁」周辺の藪は深刻です、
また「とちの木の塁」から上につながる尾根は細尾根で分かりにくく要注意です。

陣城3(井の奥の塁)写真

陣城5写真

陣城11写真

陣城12(とちの木の塁)写真

陣城14写真

陣城14写真2010年撮影

陣城15(的場の峠の塁)中央郭写真

陣城15(的場の峠の塁)西郭写真

  • 参考文献

中世城郭研究会
  中世城郭研究 第25号 高田 徹氏 美作岩屋城包囲の付城群について
戎光祥出版株式会社
  高橋 成計氏著 図説 日本の城郭シリーズ6 織豊系城郭辞典