荒神山城

荒神山城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

2016年4月10日ブログの小畑高尾城は、今回の毛利氏の荒神山城に対する亀井氏による陣城と私は考えています。
倉吉より三朝温泉、投げ入れ堂で有名な三徳山、佐谷峠を経て現在の県道21号線は、鹿野の谷の南の最奥に出ます。
この出口の北側に位置する標高466mの山上が荒神山城です。
このルートは、毛利氏が鳥取に侵攻する際に利用したと思われそのルートを確保する目的で荒神山城を築いたものと、
私は考えます。
山上は、約200mにわたり平坦な地形になっており、通常ならば土塁、堀切及び空堀などで区画して
複数の郭を作るのですが、その様な事にはなっていません。
北と南の尾根は、堀切がありますが特に厳しく遮断しているようにはありません。
南の堀切の上の郭の端には、この城唯一の土塁があります。
山の、東西の斜面は厳しく特に北部の山頂直下は急斜面になっています。
南部は傾斜の緩い部分がありそこに竪堀がみられます、ただし明確なく痕跡程度の物です。
塁線には、横矢や張出になっている所があり、東の中央部のものは虎口と思われここから下ると途中の尾根上に、
郭が数か所見られます。

南堀切写真

南端土塁写真

張出部写真

竪堀写真

  • 参考文献

鳥取県教育委員会
   鳥取県中世城館分布調査報告書 因幡