小畑高尾城

小畑高尾城縄張図

羽柴秀吉は、天正8年に鹿野城を攻略し亀井茲矩等(武田源五郎、赤井忠家、福屋彦太郎)に守らせ毛利勢に備えさせました。
鹿野の地は、毛利氏の因幡進攻の境目の地と機能したようで鹿野には鹿野城以外にも特徴のある城があります。
鹿野城の南には、三朝を経て倉吉に至るルートがあり。
このルートの鹿野側の出口に毛利方の荒神山があります、
荒神山城は、標高466mの険しい山上に200mに近い削平地の城です。
この荒神山城に対する、秀吉方の陣城ではないかと私が考える城が幾つかあります。
その中の一つが今回の小畑高尾城です。
荒神山城の北に位置する標高612,7m比高でも500mを超える山上にあり、在地勢力の居館とはとても思われない城です。
北、西、に明確に土塁が見られ南側にも土塁痕跡があります。
西側土塁中央には、虎口がありその外側にも平坦地が広がっています。

西側土塁虎口付近写真

北側切岸写真

遠望写真

  • 参考文献

鳥取県教育委員会
   鳥取県中世城館分布調査報告書 因幡