風越山城

風越山城縄張図

天文9年(1540年)の尼子氏による、毛利氏の郡山城攻めの陣城とされているのが風越山城です。
郡山城より北西約4kmの、国土地理院地形図に風越山の表記のある
555,3mの三角点のある山頂から南に続く尾根上の3か所に遺構はあります。
城跡付近は、過って山火事があった様で西斜面は雑木の藪、
東斜面は檜林ですが枝打ちなどの手入れが充分にされていない状態です。
風越山は、近年まで城とは捉えられいなかったようで、
1980年発行の「日本城郭大系第13巻 広島・岡山」では城跡との記載は無く、
青山城の項に陣と記載があるのみです。
1993年発行の広島県中世城館遺跡総合調査報告書では、空堀及び土塁などが書かれた縄張図ありました。
そこで色々調べましたが中々詳細の分からない中、「広報あきたかた」2015年2月号で
安芸高田市歴史民俗博物館の学芸員 秋本哲治氏が
図面、写真で風越山城を紹介されているのを発見し、早速秋本氏を訪ねました。
風越山は、横堀が特徴の城で同じく尼子氏の陣城である、青山・光井山城は切岸、削平が主で
異なること等のお話を聞く事が出来ました。
実際に訪れて詳細に遺構を見てみると、北(山頂)、中、南のいずれも最初は東側に切岸及び空堀が見られ、
やはり郡山城方面に対して防備を固めていると思いましたが、
西側の藪の中に踏み込んでみると、切岸及び空堀が見られ全周を防御していることが分かりました。
北の遺構は、北からの尾根の取りつく所が空堀に土橋、土塁の切れ目がありますがこれは本来虎口では無く、
西側に回り込んだところに土塁の切れ目がありこちらが虎口と
私は考えます、また東に張り出した部分がありその南にも虎口があります。
中の遺構は、北から続く所に平虎口があるが真っ直ぐ入らせず正面当たって
左に折れるような形になっていると思います。
東側には、空堀及び切岸がよく見られますが、西から南にかけて藪の中に続いている様です。
南の遺構は、最も規模が大きく東側に空堀が見られます。
尾根が取りつく所には張り出した郭が作られ、特に中央部には5m四方の規模で櫓台の様な削平地があり、
空堀はここで高さを約4m下げて南に続き、その先で再度高さを下げて
方向を変え続いています。
この空堀の南の先端は土塁囲みの郭になっており、藪の中に空堀が西に向かって続いていました。
全体の6割ぐらいしか遺構を確認できていませんが、
天文9年(1540年)の古い時代にこの様な複雑に折れを持った空堀の陣城があることに
非常に驚いています。

北郭
虎口付近写真

虎口?写真

東角部張出写真

中郭
虎口写真

南郭
北東部張出写真

北東部張出空堀写真

中央部空堀写真

南部空堀写真


  • 参考文献

安芸高田市歴史民俗博物館
  安芸高田お城拝見 〜山城60ベストガイド〜

吉田郷土史調査会
  安芸 郡山城の闘い