立石城

 

 立石城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

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三田市の南東部、無くなってしまった道場城から武庫川を挟んで北東約1kmの塩田八幡宮のある低丘陵(標高約205m/比高約70m)の中央部に立石城はあります。

南北に尾根が続き東西には地形図では分かりにくい深い谷が入り込んだ、中央部の広くなったピーク部を城域としています。

城の遺構は、中央部を空堀で分断した二つの郭からなっており、それぞれの南端には土塁が見られます。

南郭の東側以外を空堀が囲んでおり、南の空堀の南には2本の竪堀で尾根を遮断していますが、北側も尾根が続いているのにもかかわらず浅い空堀の外には堀切等はみられません。

立石城は、三田攻めの際の織豊勢力の陣城とされる事がありますが、全体的に見た私の印象ではそのようなことは無いと思います。

 

南郭土塁写真

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南郭南空堀写真

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中央空堀写真

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北郭東空堀写真

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  • 参考文献

   三田市史編さん委員会編 平成12年12月15日刊

    三田市史 第三巻 古代・中世資料