長谷山城

長谷山城(国土地理院の電子地形図25000)

偶然にも2回連続でよく似た名称の長谷山城です。
JR市島駅から鴨庄川に沿って東2kmの喜多集落の背後(北)の山上に長谷山城はありました。
兵庫県遺跡地図では、標高188mの山頂の北東から南西に延びる長い尾根を矢谷城としていますが、
山頂から南方向に分岐した尾根のピークにある長谷山城は記載されていません。
日本城郭大系では、その他の城郭一覧に北村城とあります。
約20年前に一度登っているのですが詳しく見ていなかったので、
今回ブログ「山城賛歌(闘城賛歌)」さんの記事を参考に行ってきました。
ピークは中央をマウンド状に掘り残した楕円形の郭で主郭と思われ、背後は切り落として2重堀切で尾根を遮断しています。
南(下)向かって5段、うち1段は幅の狭いテラス状ですが他の3段の郭は比較的削平の良いものです。
最下段は前面に分厚い土塁で囲まれ堡塁状の郭になっています。
この郭の北東角は土塁が切れており、竪堀が落ちていますこの竪堀の横を下る虎口と私は思います。
図面には入れていませんが、ピークから東に降る尾根上にも堀切と6段の削平地があります。
最下段の郭の下の、南から西にかけて11本の竪堀いわゆる畝堀があります。
前回の長谷砦は伊勢では珍しい畝掘りの城、今回の長谷山城もこの地方ではあまり見ない畝堀を持つ城ですが、
例えば舞鶴(旧加佐郡)では11城も集中していますが、
この様に孤立している例などは畝堀という築城術がどのように伝播するのでしょうか。

主郭写真

主郭背後堀切写真

先端郭写真

畝堀写真



  • 参考文献

株式会社 新人物往来社    
  日本城郭大系 第12巻 大阪・兵庫
webサイト
  「山城賛歌(闘城賛歌)」さん参考にさせて頂きました。