碓氷峠の陣城

碓氷峠の陣城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

2017年に、「碓氷峠で城跡の発見」の新聞報道があり気になっていたので、4月29、30日見に行ってきました。
現地を訪れての、第一印象は思っていた以上に大きいということです。
南側に谷状地形、北側には中山道の長坂道に挟まれた南北約50×東西約60m三角形の台地地形に城跡は築かれていました。
西から4段の削平地があり、4段目の削平地は1、2、3段目の削平地の北側に回り込んでいます、
さらにその外側、東から北側にかけてもう一段削平地がありました。
この北側の削平地の下を、中山道は下っています。
一段目、二段目の削平地の西側には土塁があり、一段目の削平地の土塁の南端は東へ延び、
北は4段目の削平地の端まで伸びて、4段目の削平地の開口部と合わせて枡形状になっています。
1段目の削平地内部は土塁、切岸により3段に分かれ他よりは複雑になっています。
以上が城跡の概要ですが私が以上を見て思うの、ははたして此処は本当に城跡なのかということです。
確かに一段目、二段目の南側に立って見上げたり、4段目削平地東端の枡形状地形は城に見えないこともありますが、
肝心のこの城を攻める勢力が来る中山道方面には、切岸が3段ありますが土塁、空堀等の防備は見られません。
さらに城内への侵入口が中山道に直接開いており、そこから先の枡形状地形に至るルートも直線になっている所も
私には違和感を覚えます。
また、新聞報道で言われるような天正18年の松井田城攻め際の陣城については、
約10km離れてこの様な山の上に陣城を築く必要性は無いと私は考えます。
では城跡でないとして他の可能性として、まず気にかかるのは城域に点在する江戸期と思われる
墓石の存在(ただし一基新しい墓石があり現在もこの墓地はお参りされているようです)と、
近くに仁王門址の石碑があり、神社には奉納された梵鐘などの仏教に関わる痕跡からし
当然、明治の廃仏毀釈前にあったであろう神宮寺の存在が考えられ、私は現地がその跡地の可能性もあると思います。
現に軽井沢町にある真言宗智山派の「神宮寺」碓氷峠にある熊野神社別当寺であったいうことです。
以上は、現地に詳しくない私の妄想に近いのもですが、いずれにしても文献も含め詳しく調べる必要があるのではないでしょうか。

1及び2段目削平地南より写真

1及び2段目削平地北より写真

1段目削平地土塁西側写真

1段目削平地内部写真

2段目削平地東先端写真

枡形状地形写真

3段目削平地東土塁写真

西部土塁?写真

  • 参考文献

webサイト
  らんまる攻城戦記〜兵どもが夢の跡〜 さん
  土の城への衝動 武蔵の五遁、あつちへこっへ さん
    参考にさせて頂きました。