風越山城その3

風越山城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)

ルート図(国土地理院の電子地形図25000)

前回、一人での調査の限界を感じた風越山城ですが、同行してくれる人が有ったので再度行ってきました。
今回は、前回までに確認できなかった西側の部分の遺構の存在を確認することが目的でしたが、
結果として南の郭の南辺の全域にわたり空堀が存在することが分りました。
とくに前回確認できた、東端から南に回り込んで南に張り出した尾根上の郭との関連が分り、
縄張の形が多治比から入ってくるルートを警戒していると私は考えています。
風越山城の状態は、年々藪がきつくなり冬枯れの時期以外は、遺構の確認が困難になってきています。
先日、EテレのサイエンスZEROにおいて「発見!山城アドベンチャー」の放送がありました、
山城の遺構を見つけるのに赤色写真を用いると言う内容で、
広報安芸高田において安芸高田市教育委員会の秋本哲治氏より報告のあった
赤色写真を用いて発見された甲田城や、尼子氏の本陣である光井山、青山などが紹介されていました。
番組内で風越山城については言及有りませんでしたが、
司会の小島瑠璃子より甲田城等北に数か所ある城から順次兵を繰り出して郡山城を攻める趣旨のコメントがあり、
その北につながる城の最も北の城が風越山城で、風越山城の性格が兵站の拠点でないかと考える私には興味深く聞こえました。
文献に現れる風越山については
石州路ヲ越(天文九年)九月四日芸州吉田ニ至リ多治比ノ風越山ニ陣ヲ取
(9月23日) 雲州兵青山三塚山ニ營ヲ築キ晴久軍ヲ移シケレハ今マテ屯セシ風越山ノ本陣虚トナル公諸將ニ命シ急ニ之ヲ責破ラシム城兵遂ニ風越山ノ營ヲ焼崩ス
此戦院内三郎左衛門敵首ヲ取彼カ功ヲ褒シ井上新三郎就重ニ対シ御感状ヲ賜ウ

新栽軍記 巻四

西張出郭写真

空堀中央部写真

  • 参考文献

安芸高田市歴史民俗博物館
  安芸高田お城拝見 〜山城60ベストガイド〜
吉田郷土史調査会 小都 勇三著
  安芸 郡山城の戦い