三津ヶ崎御本陣縄張図(国土地理院の電子地形図25000)
天正九年の因幡攻めの際、吉岡将監の防己尾城を羽柴秀吉が攻めた際の本陣とされています。湖山池西岸にある防己尾城から北約800mの池に張り出した半島状の比高約40mの丘で三津の集落の裏山(南)が三津ヶ崎御本陣です。最高点からポイント2にかけて数段の削平地、ポイント3付近に土塁の痕跡の様なものがある小削平地が数段あります。ポイント2から尾根が東に続きますが、基部に堀切の様な切り込みがありますがこれは道の切通と思います。この切通の様な所から先はやや広い削平地が続き先端の高くなったポイント4上面には何かの基壇の様なものがあり私は神社の跡かも思いましたが、それならば登り道があるはずですがありません。西の尾根に峠道が通っていますが道の南にも削平地がありますが郭かどうか不明です。明確な土塁、空堀、堀切等が無くいずれの削平地についても現状耕作に利用した痕がみられどこまで郭かについて私には判断つきかねます。
ポイント1の写真
ポイント2の写真
ポイント3の場所写真
ポイント4の写真
戒光祥出版株式会社
高橋成計氏 日本の城郭シリーズ6 織豊系陣城辞典