神戸市北区長尾町の丘陵北の先端、北には長尾川を見下ろす位置に宅原城はあります。
初めて宅原城を訪れた時は、阪神大震災直後で周辺には仮設住宅が立ち並んでいる時でした。
その時は藪がきつく充分見ることが出来ずに帰りました。
その約10年後に再度、宅原城に行くと仮設住宅は鹿の子台として造成され西には神戸テクノビルが建っており、
宅原城も削平されたのではないかと驚きましたが奇跡的に現在まで宅原城は残っています。
その時、城域の中に「伊賀守貞之城跡」の石碑が立ち周辺の藪も刈り掃われ見やすくなりましたが、
昨年三度目に訪れた時は、藪と倒木が酷くなっており石碑が立って以来、整備は行われていないようです。
石碑の背面には、伊賀守貞之の子孫の義村培二氏が皇紀二千六百年を期して建てた主旨が掘られていました。
(源氏姓)伊賀守貞之子孫の義村氏がどのような一族か私には分かりません。
宅原城は50センチ前後の土塁が全周を囲んでおり、南側の尾根続きの部分の土塁は1.0mと高くなっています。
北側の中央部に虎口が開いており、虎口の東側が張出し虎口を守っています。
虎口の西側は土塁が残る2段の削平地があり、虎口に至る谷を守っているようです。
- 参考文献