高倉山城及び二位山城間の尾根筋

高倉山城縄張図

佐用町の標高357mの高倉山山上に高倉山城はあります。
日本城郭体系では、石井集落のから登る様に書かれていますが、何方に聞いても分からないとの答えで仕方なく
東の菰田集落で聞くと、昔は太閤道と呼んでいる道があったけど今は誰も登らないとのこと。
高倉山から東に下る急斜面の尾根を指差して、「あの尾根なら登れるやろう」との答えなので約20年前に初めて登って以来、
今回で6度目のとなり初めて満足できる図面が描けました。
最近、東の尾根先の郭の薮が刈り掃われ高倉山の案内看板が立てられたりしているのは、NHKの大河ドラマの影響でしょう。
上月城攻めの秀吉本陣として有名な高倉山城ですが、上月城周辺の陣城と比較して注目するような遺構は見られ無いと私は
思います。
二位山城から続く尾根が取りつく所は高い切岸となっており、この部分は秀吉本陣になった際の改修ではないかと
私は考えます。
山頂の南の二股の尾根と、その間の削平地は高蔵寺にともなうものと私は思います。
二位山城から続く尾根には、299.1mの三角点ある所とその東のピークに食い違い土塁の砦、その東に堀切があります。
この尾根の仁位山城の直近には、携帯電話基地局建設の際発掘調査が行われた砦跡があり、こちらは土塁で尾根を分断しており
土塁の東側に堀切が見られます。
仁位山城は毛利方の陣城で、この砦までが毛利方、299.1mの三角点ある所から東側が秀吉方で対峙していたものと
私は考えています。

北側郭










主郭南より










主郭南側の堀切















二位山城間の尾根筋299.1m三角点のある所付近の砦西より















二位山城間の尾根筋299.1m三角点のある所付近の砦東より













二位山城間の尾根筋東の砦













  • 参考文献

日本城郭体系 第12巻 兵庫
佐用教育委員会
  埋蔵文化財調査年報