越前と若狭の境には木の芽峠ヶあります。木の芽峠は朝倉氏、一向衆徒、織田氏が戦った争乱の地です。
木の芽峠には、最高峰の鉢伏山に鉢伏山城、東に下り峠を挟んで観音寺丸砦と木の芽砦(木目砦)さらに東に西光寺丸砦の
三つの砦が並んでおり、最近では木の芽砦城塞郡と紹介されることが多くなりました。
しかし鉢伏山より海側(西)に下る尾根上にも砦があります。それが今回紹介します河野砦です。
河野砦の所在地は、国土地理院の地形図では北陸自動車道上り(米原方面)車線の杉津トンネルの粗真上になります。
遺構は、主郭の土塁が良好に残り東西に虎口があります。北から西にかけて郭があり石塁?(土塁の根石か)の
石が並んでいるのを見られます。
天正3年織田氏は木の芽峠の一向衆徒を攻める際、杉津口の杉津砦、河野砦を最初に攻め落としています。
河野砦の後、杉津砦を確認するため遺跡地図に印のある三角点202.6mのあるピークを探しましたが平坦な地形はありますが、
砦の遺構は確認できませんでした。
- 参考文献
Web版『福井県誌』通史編2中世