波多野城

波多野城縄張図

永平寺のある谷の東、国土地理院の地形図には「城山」標高473.8mのの表記のある山上に波多野城はあります。
曹洞宗の宗祖道元の庇護者である波多野氏の城と福井県史では紹介されています。
城の遺構は、南北に郭があり南側の方が大きく周辺に竪堀ヶ数多く配置され守らているので主郭と考えています。
主郭の北側には、石を含んだ土壇状のものがあり櫓台と思われます。
南北の郭の間は、幅の狭い(4m前後)土塁状の通路で連絡しています。その東西は約5mの切岸で腰郭になっています。
西の腰郭は竪堀?(斜面でないので竪堀と言っていいか分かりませんが)を掘っています。
この様な緩斜面(水平の場合も)の竪堀(畝掘)は、本来は腰郭として造られたものを状況の変化により
機能させないように改変したものと私は考えています。
波多野城の一番特徴的なものは、西の尾根の西斜面に掘られた竪堀(畝堀)で、この尾根の上は狭くとても郭を
作れるような余地は無い様に思えます、また尾根の東斜面は急激に落ち込んでいておりこの尾根を、
この様に守る必要の意味がよく分かりません。

北郭写真

西尾根畝掘写真A

西尾根畝掘写真B

西腰郭畝堀写真A

西腰郭畝堀写真B

西腰郭畝堀写真C

  • 参考文献

Wab版 福井県史 通史編2中世県