十万寺城縄張り図
十万寺城の縄張図は高橋成計氏の作図の物を許可を得て使用しています。
無断での他への使用及び複製しないでください。
鳥取県の東郷池の南、谷沿いに入った山中に模擬天守?で有名な羽衣石城がありますが、さらに約2km入ったところに
十万寺集落があります。その集落に覆いかぶさる様な標高423,3mの山の上に十万寺城があります。
東郷町史では、南条貞宗は最初この十万寺の山に城を築こうとしたが、凶事により場所を改めて今の羽衣石城の地に
築くことにしたと記述があります。
秀吉による鳥取城攻め調べる過程で、鹿野の亀井氏と羽衣石の南条氏が毛利氏の後詰防ぐために重要な役割を果たしている
こと気が付きました。鹿野の周辺には在地の城と思えない陣城と考えてよいのではないかと思える城がいくつかあります。
羽衣石の周辺も色々調べてみると、毛利(吉川元春)は、羽衣石の南条氏、を攻めています。これについて何か資料がないかと
探してみると古城友の会の機関誌『城と陣屋№207号 羽衣石城』の中に「十万寺古城」の図面が出てきました。
鳥取の陣城の調査でお世話になった吉田浅雄さんのものでよく見ると、主郭部分に「たいこうがなる」と入っており、
吉田さんに連絡を取ると「地元に伝承がある、詳しい事は忘れたので自分で見てください」との御返事だったので行ってみました。
山頂に70m四方の土塁に囲まれた郭があり、その3方の尾根は深さ10m近い空堀で断ち切っていました。
この様に現地の遺構はとても東郷町史に言うようなものではなく(南条貞宗は明徳二年西暦一三九一年死没)、私は羽衣石城に対する秀吉が後詰を行うための繋ぎの城と考えます。
- 参考文献
Web版東郷町史
古城友の会
城と陣屋№207号 羽衣石城