吉田浅雄氏作成十万寺城古城の図(羽衣石所在城)

歴史群像№173号 2022年6月号(株式会社ワン・パブリッシング)の【伯耆】羽衣石城陣城郡の記事中において「赤色立体図」で十万寺城が発見されたとありますが、鳥取で城郭調査を行われておられた吉田浅雄氏(故人)が実地調査で指摘されているのにもかかわらず、先行研究を顧みられない記述に憤りを覚えずにはいられません。いかに言ったもん勝ちの世界かもしれませんが。同時に番城についても吉田氏は指摘されています。

ネットのサイトで東伯郡湯梨浜町の「羽衣石所在城」と紹介されいるのを見つけ、あの狭い谷に新しい城が見つかったのかと思いましたが、内容や写真を拝見させていただくと十万寺城(2014年4月28日のブログ)の事と分かりました。何かの理由で羽衣石所在城(鳥取県中世城館分布調査報告書ではその様になっていました)と呼称が変わったのかと思いますがよく分かりませんでした。十万寺城は鳥取において羽柴秀吉に関連する城を探している中で、「伯耆羽衣石城(尾原 隆男氏著)」の中に十万寺古城の図が折り込みで入っているのを見つけました。詳細に見ると土塁に囲まれた主郭と思われる所に”たいこうがなる”と書入れがあり驚きました。図は吉田浅雄さんの図で早速連絡したところ、地元でそのような伝承がある、城につては昔の事なのでよく覚えていないので自分で行って確かめて下さいとご返事でしたので、日を措かず行ってきました。土塁囲み主郭は50m以上の規模があり尾根が取りつく所は大きく掘り下げて遮断している所が印象にのこりました。全体的な印象はこの地方にある城とは形態が異なり、羽衣石城に対する羽柴秀吉方の後詰の陣城との思いをもち帰ってきました。

  • 参考文献

日本古城友の会  平成6年10月2日発行(28年前)

  城と陣屋シリーズ207号 伯耆羽衣石城 尾原 隆男氏著

戒光祥出版株式会社  2018年1月15日発行

  高橋 成計氏著 図説日本の城郭シリーズ6 織豊系陣城辞典 

戦乱の空間編集会  2012年7月発行

  戦乱の空間 第11号 

  高橋 成計氏 織田氏因幡進攻における陣城構造