譲葉山城

譲葉山城縄張図
今回の縄張図はすべて高橋成計氏の作図の物を許可を得て使用しています。
無断での他への使用及び複製しないでください。



ホームページ「丹波霧の里」の天々宇知栗さんより、兵庫県丹波市柏原町にある織田氏柏原陣屋の東、
標高594m譲葉山、山上に土塁囲みが有るので城郭遺構か確認してほしいと連絡がありました。
そこで早速出かけました。
陣屋北の谷を登り西に延びる尾根に出て反射板跡を経て山頂にたどり着きました。
山頂にはお堂がありその周辺を1m前後の土塁が囲んでいます。最初に見た印象では城郭遺構との確信が持てませんでした、
そこで周辺を調べたところ北西に70m離れたところに数十cmの高さの土塁で囲まれた郭を見つけました。
こちらの方は西に平虎口が開き北側の塁線が折れており今まで見てきた織豊系の陣城と同じような形態を持っています。
この郭の存在によりお堂の所も陣城との確信を持ちました。
山頂の調査を終えて下山することにしましたが途中西に延びる尾根で、登山道を外れ尾根先に向かって進みました。すると堀切がありその先に2段の郭がありました。譲葉山の山頂は見晴らしがきかずこの尾根先に陣城を築く必要があるのではないかと考えます。
織田氏明智光秀)は黒井城を攻めるに当たり多紀連山の各地に城、陣城を築いています、東から栗柄峠の栗柄砦、
佐仲峠の夏栗山砦、瓶割峠から南に分岐した尾根筋の鐘坂に金山城、北に分岐した尾根筋が今回の譲葉山になります。
なおこの後に天々宇知栗に案内していただき譲葉山のさらに北の向山連山の四山に城郭遺構を確認しています。


東郭西より


東郭北西角より


西郭北張出し部


西郭東より


西城堀切

  • 参考文献

 中世城郭研究会 2009
   中世城郭研究 第23号
 八上城研究会
   戦国・織豊期城郭論 丹波国八上城遺跡群に関する総合研究