菩提山城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)
コロナ禍にくわえ天候不順もあり、思う様に城に行けない状況の中で、若いころ行ったままでその後行く事の無かった城を見直しています。
その最たる所が、この菩提山城で20歳代後半で城に興味を持ち始めて登った山城です。
南の尾根の鉄塔道を延々と登り、たどり着いた主郭から見える景色の印象は残ったものの、当時主郭以外は藪状態にくわえ私自身城の知識も充分でなく殆ど見れていなかった。
この城の特徴である主郭の南の馬出(名称は菩提山城遺跡調査報告書による)で、この様な外枡形は土塁によるものが普通ですが、この城の場合空堀になっている、他にあまり多く見た記憶がない。
主郭の南に続く、二の曲輪、三の曲輪、出曲輪はいずれも削平が良く規模も大きい。三の曲輪、出曲輪間の堀切は幅広く、結果出曲輪は独立した印象をわたしはもちます。
主郭の西には、台所曲輪、西の曲輪がありその先の尾根は、北の水の手とされ切岸がいくつか見られますが明確な削平地(郭)とは私には見えませんでした。
この城で記憶に残っているのは、台所曲輪の藪の中から出たところ至近距離で散弾銃を向けれられたのには肝を冷やしました、相手のハンターも熊かと思ったと言われたが、下山して役場に向かい事情を説明し史跡に中で事故の無いようクレームを入れました。その時職員より「菩提山城遺跡 調査報告書」がある事を教えてもらい入手することが出来ました。
主郭東腰郭写真
馬出写真
台所曲輪写真
三の曲輪写真
三の曲輪、出曲輪間の堀切写真
出曲輪南斜面の竪堀写真
出曲輪土塁写真
三の曲輪腰郭の竪堀写真
- 参考文献
菩提山城測量調査委員会(菁莪記念館内) 昭和55年12月 編集・調査
垂井町指定史跡 菩提山城遺跡 調査報告書
株式会社 新人物往来社 昭和54年6月15日 発行
日本城郭大系 第9巻 静岡・愛知・岐阜
朝日新聞社 2000年9月15日 発行
藤井 尚夫氏 著 フィールドワーク 関ヶ原合戦