刑部城縄張図(国土地理院の電子地形図25000)
丹波守護代内藤氏の本城である八木城から桂川を隔てて北東約2.6kmの位置にある国土地理院の地形図で多国山(標高188m/比高90m)と表記のある山の山頂が刑部城です。
山の標高180mの等高線付近全周に切岸が見られますが、その内部はほぼ自然地形で削平を行ったのは南と北の一部のみと私は見ました。
それぞれ削平地の縁に土塁が見られますが、あまり明確なものではなく特に北の上段の削平地の土塁は痕跡程度です。
虎口についても、南の土塁の切れ目は後世の破壊、北の土塁の東端が開いていますが虎口と機能している様に思えません。
いびつな円形のマウンド状の山頂部は、平坦になっていますが特に櫓台というものでは無いと見えました。
近畿の城郭2では、天正3年の明智光秀によると記述がありますが、八木城に関連する戦いであれば天文22年の波多野氏による落城、その後の三好氏・松永久長頼の回復があり刑部城の遺構の現状を見る限り必ずしも明智氏によるもので無いように私は思います。
南土塁内側写真
南土塁外側写真
北土塁内側写真
北土塁外側写真
北土塁中央部写真
北土塁東端写真
遠景写真
- 参考文献
戎光祥出版株式会社 2015年4月1日発行
城郭談話会編 図解 近畿の城郭2
株式会社 新人物往来社 昭和55年9月10日印刷
日本城郭大系 第11巻 京都・滋賀・福井